北一硝子

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 私が北一硝子を初めて知ったのは、まだ中学生だった昭和40年代後半、国道により商大通りが現在の寿司屋通りに分かれる交差点にあった、金吉金物店の一角に馬そりに乗せたレイアウトで、石油ランプを展示販売していた頃である。

 その近所にあった三杯食べたらただになるラーメン店に、友達と足繁く通っていたそんな頃、店の大将に飾ってあった油ですすけたランプの事を聞いた時にこう教えてくれた。

 「このランプは金吉の一角に置いてある北一硝子から買ってきた。この石油ランプが今、アンノン族とかいう若い女の子たちに大人気なんだそうだ」
 「へぇー、そうなんですか。今、ランプが人気なんですか・・・」
 そんな会話をした記憶がある。早速、その帰り店をのぞいた時の光景が前述である。

 その後、私が高校を卒業した頃、そこから少し札幌寄りの花園1丁目国道沿いに、今も残るアルプスの山小屋風というか、中世ドイツ風というか、そんなイメージに建築された本店が落成し、市民にも北一硝子の名前が浸透していったと同時に、多くの観光客が訪れるようになっていった。

 それからまもなく、倉庫、問屋街だった堺町通りの旧木村倉庫に北一硝子三番館を開店し、観光客で溢れる堺町通りに変貌していったのはご存じの通りだ。

 社長の浅原健蔵さんは同じロータリークラブに所属する大先輩で、事あるごとに可愛がっていただいている。北一の前身は20世紀初頭に創業された浅原硝子。前述の石油ランプ、漁業用の浮玉製造の硝子工場であったそうだ。

 現在、杜の広場の会長で元市議の大橋一弘さんは、私にこう言ったことがある。中央に行って小樽の会社というと、真っ先に北一硝子があがってくる。

 職種にもよるから、だから一番というわけではもちろんないけれども、全国的にみんなが知っている小樽の企業ということは間違いないようだ。

 余談だが、私のバンドの鍵盤担当旭川出身のなおちゃんは、修学旅行で訪れた北一硝子が忘れられず、旭川大学を卒業後ここに就職し、勤続10年を無事迎えることができたという。

(斎藤仁)