お知らせ

村住外科

 花園十字街から山側に50mほど入った公園通りに、村住外科があった。私が子供の頃は、町内には必ず内科・小児科医院があり、数はそれより少なかったが、外科医院もあったものだった。  私がこの公園通りにダンススクールを開業した…

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市場のおまけ

小樽で一人暮らしをはじめてからと言うものの、家で魚を食べるということはめっきり減っていた。 魚は肉に比べてゴミとなってしまう部分が多く、しかも一人暮らしの狭い部屋で魚を焼こうものなら、その臭いが部屋中に染み付いてしまう。…

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親孝行

「孝行のしたい時分に親はなし」とは、よくいったものだ。どうしてあの時にそうしなかったのか。普段はしない、そんな話をしたいと思う。 父は私が15歳のときに脳卒中で亡くなった。急死だった。その当時のことはよくおぼえていない。…

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市民会館

 小樽市民会館は、国道5号線花園十字街から公園通りを400mほど上がった小樽公園内にある。この場所には公会堂が建っていたが、昭和38年(1963年)、小樽初の本格的多目的ホールとしてオープンした。  私が子供の頃は、獅子…

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訛り

札幌に50年、小樽に4年住んだ僕にとって、北海道弁はおちゃのこさいさいである。 っていうか、何が標準語で何が北海道弁なのか、区別がついていないというのが実情である。 友人にも「お前は北海道訛りが強い」と言われたことがある…

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天狗山

 小樽のシンボル、天狗山に関するコラムがこのおたるくらしでも数多く掲載されている。満を持して、私も天狗山の想い出を書いてみる!!!  夏に天狗山に登るルートはおおまかに3つあるとされている。自動車が通れる天狗山観光道路、…

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昭和57年。 初めてのひとり暮らしは、花園町の3畳一間のアパートだった。テレビも電話もなかった。 すぐそばの「大王ラーメン」の常連だった。 嵐山の「みよしのギョーザ」が今の体格の基礎となった。 ガード下の「村さ来」で夢を…

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ねことわたし

舞台は小樽、手宮線跡地の公園。これは、私と、ひと夏のちいさな友人の、なんでもない夏の日のひと幕である。 「天気もいいしどこか出かけたいなあ」 暇を持てあましていた大学3年生の夏休み、私はとくに目的も理由もなく近所を散歩す…

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小樽の冬

小樽の冬は厳しい。 その厳しさを、僕は身を持って知っている。 そして、僕の知るその「厳しさ」と同じ体験をした人は、恐らくいないであろう。   昭和57年から4年間、僕は「富岡荘」という稀代の木造オンボロアパートに住んでい…

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北海ビル

昭和49年(1974年)、小樽初、地下1階地上5階建エレベーター付雑居ビルが、稲穂1丁目丸井今井裏通りに、鳴り物入りで誕生した。小樽の飲み屋街は、路面店が多く、せいぜい2階建、稀に3階建はあるが、エレベーターなど付帯して…

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