マイ・ファースト・オタル
この写真は今から40年も昔の1973年8月7日、私が中学1年生の夏休みに写したものです。私は生まれ・育ちが東京ですが、当時、終焉の時の近い蒸気機関車を追っかけて、はるばる北海道まで一人旅でやって来たのでした。青函連絡船…
この写真は今から40年も昔の1973年8月7日、私が中学1年生の夏休みに写したものです。私は生まれ・育ちが東京ですが、当時、終焉の時の近い蒸気機関車を追っかけて、はるばる北海道まで一人旅でやって来たのでした。青函連絡船…
それは真夏の暑い日だった。 少年たちは海に行こうと思いついた。 自分たちだけで海に行くなんて、なんだか大人になった気分。 そうだ!炭を持って行って海で何か焼こう! 少年たちの中でも一番背の低い子が 「ウチに網があるよ」と…
オタモイ海岸。ここは戦前、割烹料亭「蛇の目」の大将、加藤秋太郎氏が大遊園地の造成を夢見た、男のロマンの香りあふれる場所。 わたしがその話を知ったのは、おたる案内人1級を目指す講座の席であったが、実際には、もっと早くこの海…
天狗山の紅葉も終わりに差し掛かってきたようです。 もう少しすると雪化粧をした姿が見られることでしょう。 山がそこにあり、その姿をみて季節を感じながら毎日過ごすことはとても贅沢ですね。 進学のため東京に住み始め…
国道5号線から小樽商大へ行く坂道の ちょうど真ん中あたりにある「商大通り」。 地獄坂の手前にある坂である。 ここに当時学生だった僕の愛する社交場があった。 緑荘、国士無双。 雀荘ですが・・・ 当時は、巷の社交場で社交を楽…
今となっては昔のことだが、高校に入学したわたしは、先輩でもある兄の誘いもあって、合唱団に入団した。 今をさかのぼること、25年も前のことだった。 文化系の部活動だったとはいえ、体育会系並みに練習はハードで上下関係も…
今から28年も前のこと。わたしは塩谷中学校に入学したが、中学校のグラウンド横では道路工事の槌音が聞こえていた。森をえぐって一体全体何を造るのだろうと思い先生に聞いたところ、新しい道路を造るとのことだった。それが「フルー…
いつも記憶の片隅にある懐かしい風景。 きっと誰にでもあるホロっと苦い思い出の1ページ。 梅源線を走るあの路線バスを見るたびに思い出す事件がある。 路線バスはまだワンマンカーではなく、 バスガイドのお姉さんが乗っていた時代…