オコバチ川

 寿司屋通りの下方から小樽運河に流れ出るオコバチ川は、漢字で「於古発川」と書く。天狗山の後方に聳える於古発山を源流に、小樽の中心部を流れ小樽運河にたどり着く小さな川である。

 その昔は、この川を境に小樽郡と高島郡に分かれていた。その名残はいろいろなところに使われ、小樽を分断するときは、オコバチ川が南北に分ける分岐線となっている。

 私たち世代1月15日だった頃の成人式は、住民票記載住所により午前と午後の出席者を分けていたのがこのオコバチ川だった。

 オコバチ川の下流を別名「妙見川」と呼ぶのは、川沿い界隈にある妙見堂に由来するのは。よく知られた事である。戦後樺太からの引揚者によって構成された妙見市場の名称も妙見川から取られている。

 私はオコバチ川が傍らに流れる緑小学校を卒業している。昭和37年(1962年)夏の台風9号10号の豪雨で、小樽市内ほとんどの川が氾濫した災害があった。それにより、オコバチ川両岸にあった前述妙見市場も流され、ご存知カマボコ型の市場3棟が川の上に新築されたと同時に、中流域から下の護岸がコンクリートに固められ現在の姿になっている。

 私が緑小学校に通っていたのは昭和40年代前半なので、コンクリートに固められた数年後だったわけだ。勝納川のように護岸から川に下りる階段があるわけでもなく、決して水に親しむという川ではない。川は浅いのだが夏でも流れは早く、決して近づくことはできない。

 護岸の緑町側には民家がびっしり連なっている。そのすぐそばには小道があり、途中で途切れながらも、道は妙見市場手前までずっと続いている。界隈の人たちしか知らない秘密の抜け道である。

 後年、小樽ガイドクラブ顧問の山川隆先生が、緑小学校の少し上あたりに豊川町で創業100年を超える米穀店として有名な丸い遠藤商店の水車小屋があったと教えてくれた。古地図に「丸い遠藤」と記載されていたというのだ。既に廃業している米穀店も多数水車小屋を設置していたとも教えてくれた。

 遠藤商店の目の前には手宮仲川が流れているのであるが、水量の関係なのか詳細はわからないが、少し離れたオコバチ川に水車を設置し精米していたということだ。

 昔、オコバチ川上流の天狗山登山お地蔵コース入口少し上に鉄扉で囲まれたオコバチ浄水場があった。それを知ったのは、松ヶ枝中学校に入学してからだ。天狗山の麓に住む同級生が、水源地の近くに家があると言い出したからなのだ。

 水源地といえば奥沢水源地しか知らず、最上町の山奥にも奥沢水源地のような湖があるのかと父親に確かめた。小樽市内にはダムは奥沢水源地だけだが、オコバチ川を含め直接取水している川がいくつもある事を知ったのだ。

 長年に渡りオコバチ川の水も小樽市民の喉を潤していたというわけだ。ちなみに現在の小樽市内の水道水は、余市川と朝里ダムしか使用していないということだ。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年7月時点の情報に基づいたものです。