ポーの思い出

朝、昼、夕になると町中にサイレンの音が響き渡る。運河や駅前通りを歩く観光客が初めてこの音を聞くと、あまりの大きさに驚くかもしれない。

この音は始業、昼休憩、就業を知らせる北海製罐のサイレンの音で、小林多喜二の小説にも描かれるほどに昔から小樽にある。私たちにとっては日常であり時計でもあるのだ。

以前、生まれてからずっと小樽に住んでいるという高齢の女性の方とたまたま同じベンチに腰かけているときに、このサイレンが鳴った。その女性はこのサイレンが製罐のポーと呼ばれていることを教えてくれた。

そして嬉しそうに「製罐のポーは私が子供のころからずっとあるの。学校終わりに友達と公園で遊んでいてポーが鳴ったら、もう夕方になったんだなと思って家に帰っていたわ。」と語った。

その光景は容易に想像することができた。私の幼少のころと全く同じだったからである。学校終わりに公園に集まって缶蹴りや鬼ごっこをしているうちに日が傾いて町中が夕日に照らされるころにポーが鳴り、友達に手を振ってそれぞれの家に帰る。

そんな光景が私よりもはるかに年上に見える女性と共有することができた。私は長い歴史を追体験したような懐かしくも不思議な感じがした。

小樽に来た観光客はやはり運河を歩いたり、堺町通りで食べ歩きを楽しむだろう。しかし、形のあるものだけでなく、形のないものにも歴史があるということを実際に体験してほしい。

時計を外して夕方にふらっと運河沿いを手宮側に向かって散歩すればポーが聞こえてくる。そんな時は近くのベンチに腰を掛けてゆっくりとした時間を過ごしてみるのも良い。公園で遊ぶ子供たちの声、さざ波の音が聞こえてくる。もしかしたら地元の人が話しかけてきて昔話をしてくれるかもしれない。

だから私は夕方に小樽の街を散歩するのが好きだ。無形だからこそそれぞれの心に懐かしさとして染み渡る。

懐かしさを感じさせる音が小樽には溢れている。

(カイト)


※本記事の内容は2020年8月時点の情報に基づいたものです。

写真:眞柄 利香