入船公園

 入船公園は、貯金局の上界隈、入船5丁目に位置する、小樽市公園区分で地区公園に分類される比較的大きな公園の一つである。

 ここは、私の母校緑小学校校区だったこともあり、昭和44-45年(1969-1970年)の5、6年生の頃よく遊んだ懐かしい公園である。仲の良かった同級生がこの界隈に住んでいたからなのである。

 昭和29年(1954年)国体のバレーボール会場として造成された4面あるテニスコートは、子どもが足を踏み入れられる雰囲気はまったくなかった。特にどの野外スポーツより地面を大事にするスポーツなので、コートに勝手に入ろうとすると、勝手に入っちゃダメダメと注意された。

 それに引き換え、野球グラウンドは今のように組織だった小学生の協会、連盟加盟チームが使っていたわけではなかったので、クラス対抗の野球の試合に、早い者勝ちで使っていた。

 もちろん野球の試合といってもベースを持っている者などいるはずもなく、その辺に落ちていた段ボールや大きな石がベース代わりだったのだ。面を持っている者がキャッチャーで、人数が少なければ三角ベース野球でお茶を濁していた。もちろんユニホームを着ている者など皆無で、ジャージを着ることさえ一般的でなかった時代だった。

 入船公園には小樽公園にはない多くの遊具があり、また公園全体が平らだったことが、その頃よく遊んだ理由だった。

 球体の回転するジャングルジムではよく遊んだ。思いっきり回してぶら下がって楽しんでいた。はん登棒は腕力がいるのでみんな避けていた。

 真ん中に今でも鎮座している、コンクリート製の小山に鎖で上るのは大好きだった。
 雨が降ると、砂場近くにあった土管のなかで雨宿り。

 私は、緑小学校だったので、ポプラ並木のある公園入口はほとんど利用したことがなかったが、はるか彼方、聖ケ丘に電通(電電公社をこう呼んでいた)のアパートが2棟並んで建っているのが良く見え、あそこに行ってみたいと小山の上から眺めていた。

 オンボロ公宅に住んでいたので、鉄筋コンクリート住宅に対する何とも言えないあこがれがあったのだ。

 中学に入ると、中体連野球大会の会場にグラウンドが使われ、何度か応援に来たことがある。さすがにもう遊具には乗らなかったが・・・。

 グラウンド上方を通る山手中通線バス通りは、今も昔もずっと通っているのだが、入船公園の中に入るのは、とんとご無沙汰している。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年6月時点の情報に基づいたものです。