小樽経済センター

 小樽経済センターは、小樽駅前札幌寄りの山側に建っている。小樽駅前ビル群(ちょっと大げさだが・・・)の中でも一際大きく重厚な作りとなっていて、界隈のランドマークとなっている。

 この建物の元々は、昭和59年(1984年)、稲穂大通りにあった樽専ビルが移転新築し日専連ビルとして誕生している。

 小樽では今でも一番使用率が高いと言われているニッセンレンエスコートカード(日専連カード)であるが、全国各地にある各地日専連ビルの中でも、建設当初は最大級のビルだったという話しを吉川陶器店吉川愼一社長から聞かされたことを思い出す。

 その全国日専連の中でも最優等生だった日専連小樽が、諸般の事情で札幌のニッセンレンライフと合併することになった。同じ頃、移転先を模索していた小樽商工会議所に売買の打診をし、売買価格2億円で購入契約成立したという経緯である。(日専連側は3億円を希望したようだが・・・)。

 それにより、平成21年(2009年)日専連ビルが小樽経済センターへと名称変更されたというわけだ。色内大通りにあった小樽商工会議所がキーテナントとなり、小樽青年会議所等、旧会議所の店子、旧日専連ビルの店子も一部を除きそのまま入居している。

 今までのキーテナントだったニッセンレンエスコート小樽(旧日専連小樽)も地下1階に入居し現在に至っている。

 日専連ビル時代、私は公私ともにお世話になった。昭和60年(1985年)、自身の結婚披露宴を、このビル7階大ホールで開催した。当時地下1階にアネックスという北海ホテル直営レストランが入居していた関係で、7階での宴会は地下から料理が運ばれてきた。アネックスが閉店してからは、ここでの宴会はケータリング会社を使う形で実施していると聞いている。

 ピータイル張りの4階会議室は、小樽ボールルームダンス連盟技術検定試験の会場として使わせていただいていた。当時は女性用ダンスシューズのヒールが、木の床を傷めるという理由で、体育館フロアーでの社交ダンスが禁止されていたのだ。

 その後、床を傷つけないヒールが改良され、ここの4階会議室から、木のフロアーの公会堂、総合体育館、いなきたコミセン等を会場に、技術検定試験やダンス競技会を実施している。

 また、7階大ホールも、斎藤ダンススクール年2回の発表会、小樽ボールルームダンス連盟ダンスパーティーと頻繁に使用させていただいていた。7階はジュータン張りなので、札幌のホテルからダンスフロアーを借りてきてのダンス発表会だった。

 その後、稲一の小樽グランドホテル、築港のヒルトン小樽(現グランドパーク小樽)の登場により、日専連ビルでの社交ダンス発表会は開催されなくなっていった。

 発表会は開催されなくなったのだが、今でも青果組合等のダンスパーティーの定番会場として利用されている。2次会が開催される花園稲穂地区に近いという好立地が、開催の理由とダンスパーティー担当者は教えてくれた。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年6月時点の情報に基づいたものです。