旧北手宮小学校

地元の人たちから北手(きたて)の愛称で親しまれていた、北手宮小学校は平成28年(2016年)3月末をもって85年の歴史に幕を下ろした。

北手宮小学校は、昭和5年(1930年)児童増加が著しかった手宮地区3番目の小学校として北手宮尋常小学校の名前で、手宮尋常小学校、手宮西尋常小学校に次いで開校している。

北手と言えばなんと言っても「雪まつり発祥の地」として有名である。昭和10年(1935年)、当時の高山校長のアイデアで第1回雪まつりが校庭で開催された。この時に、有名な高さ8mにも及ぶ大きな布袋様の大雪像が作られている。以降地域の方々の協力を得ながら、児童、教職員総出で継承してきた伝統事業であった。

昭和25年(1950年)からはじまった「さっぽろ雪まつり」の大雪像を作るアイデアは、この北手の雪まつりから模したものなのだ。以降道内各地で○○雪まつりという名前で、長く厳しい北海道の冬を乗り切る野外イベントが開催されていった。

小樽でも昭和30年代前半から、花園グラウンドを主会場に「小樽雪まつり」が開催され、「ウィンターフェスティバル」「小樽雪あかりの路」と時代により名称と形態を変えながら、継続され今に至っている。

話しは北手に戻り、昭和63年(1988年)、雪まつりを後世に伝えるため校舎横に「雪まつり発祥の地」と刻字された記念碑が建立された。さらに、校舎内に「雪まつり資料館」が併設され、当時の写真、生活用具等が展示されていた。閉校となった今は、小樽市総合博物館がその資料を引き継ぎ、整理・保存している。

自身も北手の卒業生でPTA会長も努めた、私と同業の清水博文先生は、雪像作りに関し以下のように解説してくれた。

「冬休みが終わり、雪の最盛期を迎えると全校児童が校庭で手をつなぎ、横一列になり何往復もするんです。そう、雪を踏み固めるんですわ。新入生も含めてです。一回や二回じゃありません。何日もです。」

「そうすると、本当に固く締まった雪になります。それをきれいにブロック状に切って、運んで積み上げて削るんです。それがあの芸術品になるんです」

鼻高々に教えてくれた清水先生は、雪像ではなく芸術品と自慢していた。

閉校となった今は、この雪像作りを支えた地域の人たちが中心になり、3校が統合となった手宮中央小学校で雪まつり保存会を作り、手宮中央小学校PTA雪まつりと称し開催続けていると聞く。

私の高校の先輩で小樽観光協会元専務理事の田宮昌明さんが保存会会長を努め、前述清水先生も役員に名を連なっている。

最後に、北手は通りに面した学校ではなく、いくつもの長い急坂を登った山の上にあったので、閉校となった今は、前述の記念碑も人の目に触れることなく、校舎の解体も含めた後利用も、なかなか進まないのは地域住民や卒業生にとっては悲しい限りだ。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年5月時点の情報に基づいたものです。