花園小学校

 花園小学校は小樽公園の国道側(海側)に位置し、その先には花園スポーツセンターと呼ばれていた、花園グリーンロードという公園緑地が広がっている。小樽の夏の風物詩おたる潮まつりの2日目潮ねりこみの出発地点にもなっている、小樽市民馴染みの場所である。

花園小学校は、私の居住地区の選挙会場でもあり、何度も出入りさせていただいている。私がはじめてこの花園小学校に足を踏み入れたのは、昭和47年(1972年)7月、ここの運動場とお隣菁園中学校体育館を会場に行われていた、中体連バスケットボール小樽地区大会に、同級生の応援に仲間数人と行った時だった。

市内16校を4つのブロックに分け、各ブロック4校によるリーグ戦が行われていた。勝っても負けても3試合できるスタイルで実施され、たしかその初戦の応援に行った記憶がある。菁園中学校に男女それぞれの対戦表が貼られていて、それぞれの対戦に菁、花の文字があり、試合会場を表していた。

半世紀近く前の当時は、当然のことながら木造モルタル2階建ての旧校舎で、木造の運動場(まだまだ体育館などとは呼べない・・・)には大きな梁が幾重にも組まれ、速攻のロングパスを出すとその梁にぶつかってしまう事もあるほど、鉄筋かまぼこ型体育館に比べて天井は低かった。

花園小学校の沿革を簡単に紹介する。明治37年(1904年)4月1日小樽区花園尋常高等小学校として開校し、大戦、火事、災害を乗り越え今に至っている。小樽市民会館が竣工する昭和38年(1963年)まで、小樽市内に多くを集客できるホールがなかったので、演劇、コンサート等、交通の弁の比較的良い街場に位置するこの花園小学校運動場を、会場とすることが多々あった。

以前にもご紹介した、天才少女ヴァイオリニストとして一世を風靡した、鰐淵晴子さんの昭和28年(1953年)全国演奏旅行公演小樽会場も、花園小学校運動場だったと、この公演に一緒にマネージャーとして行脚した見延庄三郎元北海道通運社長が教えてくれた。

用意した椅子に座りきれず、多くの立見客で運動場は黒山の人だかりだったと述懐していた。今だったら消防法があるので、きっと許可ならなかったかなと、その時の写真を眺めながら思い出を語ってくれた。

現在の花園小学校は、小樽市内唯一の社会人ブラスバンド「小樽ウィンドアンサンブル」の練習拠点としても使われている。今も昔も文化芸術活動の一翼を担っている花園小学校である。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年5月時点の情報に基づいたものです。