手西の鼓笛隊

marching_band_of_tenishi

この写真に写っているのは、昭和44年、手宮西小学校60周年記念祝賀パレードで、手宮十間坂をパレードする子どもたちである。先頭は鼓笛隊、後ろに児童が控えているところを見ると、全校児童のパレードだったようだ。

翌昭和45年、私が卒業した緑小学校が50周年式典を開催したが、児童のパレードは実施していない。写真を見ると、腕章をつけた交通整理のおじさんが何人か写っている。手宮地域あげての盛大なパレードだったことが、うかがえる。

写真に写っているのは、私と同世代の児童。これはわたしだ、おれだ、という読者の方々もおられるのではないか!!!

手宮には3つの小学校がある。一番歴史がある手宮小学校。雪まつりの発祥で有名な北手(きたて)こと、北手宮小学校。そして写真の手宮西小学校。近隣の人は愛情を込めて手西(てにし)と呼ぶ。

わたしが入学した美唄小学校には鼓笛隊があった。調べると空知管内の小学校は鼓笛隊が盛んで、ほとんどの学校に鼓笛隊があった。

美唄では、低学年は入隊できなかった。なにしろ1学年300名近くいたマンモス小学校だった。そんなルールでもなかったら対処できなかったのかもしれない。

小樽に転校しても鼓笛隊に入りたかったが、緑小学校には鼓笛隊がなかった。というか、小樽の小学校には、ほとんど鼓笛隊がなかったのだ。そんな中、手西には鼓笛隊があった。驚きと羨ましさが交錯した。

小樽は小学校の鼓笛隊、中学校、高校のブラスバンドがあまり盛んではない。音楽系のクラブ活動は、楽器購入、管理とお金がかかるので、なかなか大変なことが理由だという。

手宮地区は小樽駅方向から見ると、国道5号線余市方向側に見える手宮富士、荒巻山の裏側を指す。住所でいうと錦町、手宮、石山町、豊川町あたりである。

この手宮地区三小学校は、近い将来合併して新手宮小学校となる。現在の手西校舎は、北山、末広両中学を合併させた新中学の校舎として使われるという。

すでに手西の鼓笛隊はないが、手宮地区の大人たちの子供を見守る姿勢は今も続いている。

(斎藤 仁)

写真:小樽昭和ノスタルジー(ぶらんとマガジン社刊、56-57ページ)