繁栄の歴史を今に伝える御殿

鰊御殿。それは小樽の中心街から離れたところにポツンと建っている。
私がそこを初めて訪れたのは小学5年生の時だった。小樽に住んでいる祖父母に会いに行った日のことだ。

釣り好きな祖父が言った。
「よく来たね、今日は祝津前浜でお祭りがあるみたいだ。”鰊”っていう魚が食べれるぞ。行ってみるかい。」
興味を持った私は祖父の車に乗ってそこへ連れて行ってもらった。

「小樽祝津にしん祭り」と書かれた看板が目に入った。辺りから香ばしい匂いが漂ってきた。小さな子供からお年寄りまで、たくさんの人々が自由に七輪で魚を焼いて食べていた。

会場へ入ると無料で鰊がもらえた。私がもらった鰊は祖父が串にさして焼いてくれた。
パチパチと音を立て、身が盛り上がってはじけてきた。脂が落ちて煙が上がった。塩を振りながら食べ頃まで待った。炭火から離しても、ジュワジュワ音を立て続ける鰊は絶品だった。

“騒がしい”というよりも“賑やか”という言葉がぴったりな、穏やかで温かい雰囲気の祭り会場に居心地の良さを感じていた。

「この近くに”鰊御殿”っていう建物があるんだ。そこに寄ってから帰ろうか。」
祖父の車で近くまで行くと、目の前に長い坂が出てきた。上った先に鰊御殿があると教えてもらった。走って駆け上りたい気持ちになったが、祖父を気遣って一緒に歩いて上った。

人はそこまで多くなく、静かだった。坂を上り切って振り返ると、圧巻の眺望だった。頬を撫でた海風が心地よかった。観光客で賑わった運河よりも、穏やかな時間が流れていた。

建物の中に入ると、昔の空気を感じた。明治30年に建てられた鰊御殿での当時の生活を記録した写真や鰊漁で使われた網などが展示されていた。威勢のいい掛け声や煮炊きのにおいが浮かび上がるようだった。

広々とした大広間があった。ここで100人以上が寝泊まりしていたと知った。からくり部屋もあった。2階に上って、さらにいろんな部屋を見た。当時の息遣いが感じられた。最盛期の鰊漁の豪勢さや迫力が溢れている空間だった。

「今の小樽があるのは、鰊漁に出ていた人たちのおかげなんだぞ。」
こんなにも力強い繁栄の歴史を隠し持っていた小樽。外に出ると、来た時とは眺めが違って見えた。

この海で極寒と闘いながら鰊漁をした人々の存在を知ったからかもしれない。ただ穏やかなだけではない、小樽の”秘密”が見えたような気がした。

(イオリ)


※本記事の内容は2020年8月時点の情報に基づいたものです。

写真:眞柄 利香