銀鱗荘

 銀鱗荘は、平磯岬の上に建つ豪華絢爛な日本で唯一宿泊できる鰊御殿である。この銀鱗荘は明治33年(1900年)、余市港の現在余市水産試験場があるところに、鰊漁場の親方猪俣安之丞の邸宅として建設されたものだ。

 そして昭和13年(1938年)、銘酒北の誉で有名な丸ヨ野口が運営していた北海ホテル開業20周年記念事業の一つとして、この地に移築されてきた。丸ヨ野口が中心となって行った大規模な東小樽地区都市開発の目玉の一つだったわけである。

 翌昭和14年(1939年)から丸ヨ野口が旅館として開業している。既に中央通り、現在の小樽グリーンホテルの場所に前述北海ホテルを開業していた丸ヨ野口は、酒造メーカーのみならず、多角経営の先駆けだったのだ。ちなみに、銀鱗荘と命名したのは、時の北海道庁長官石黒英彦だ。

 この銀鱗荘に、もう2.30年前になるが何回か食事に行ったことがあった。広い店内にあまりお客さんもいなく、むき出しの梁や建物に関する資料が展示されていて、それらを拝見して楽しんだ記憶が微かに残っている。機会に恵まれず、それ以来訪れることはなくなってしまった・・・。

 また、別館が旧小樽駅前第三ビル地下にあったので、小樽市民にとってはそちらの方が馴染みがあるかもしれない。そこは、いつもお客さんで満杯の忙しい日本料理店だった。

 昔は、銀鱗荘の勇壮な出で立ちが、札幌方面からの帰り朝里トンネル辺りからしっかり望めた。しかし今は、増築された5階建の新館や樹木に隠れて、近くに行かなければよく見えなくなってしまったのは大変残念である。現在の銀鱗荘は、旧三井銀行小樽支店等を運営管理小樽芸術村のニトリパブリックが、小樽市歴史的建造物5棟目として所有し、運営している。

 もう30年以上前の話しであるが、大正生まれの生徒さんが昭和20年(1945年)春、銀鱗荘にあった高射砲が、小樽港上空を旋回していたグラマンを撃ち落としたと話してくれたことがあった。それを今の平磯公園あたりで間近で見ていたというのだ。

 凄まじい轟音や射撃音だったと思うのだが、戦争という非日常で感覚が麻痺してしまうのか、笑いながら話していたことが思い出される。調べると銀鱗荘は、昭和19年(1944年)帝国陸軍高射砲陣地として使用されたとの記録が残っていた。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年6月時点の情報に基づいたものです。