熊碓神社

 熊碓とは、小樽築港駅から少し札幌よりの平磯トンネルから、今は切割りになっている旧朝里トンネルまでの地域の事である。現在の住所表記では、小樽市桜と桜の国道から海側の船浜町にあたる。

 写真の熊碓神社は、桜ロータリーの一番山側突き当りに位置している。毎年、7月第一日曜日に例大祭を開催していて、私も何度か遊びに行っている。桜ロータリーから熊碓神社に向かい露店が並び、途中の空き地に簡易ステージが設けられ、カラオケ大会やパフォーマンスが披露される。

 現在、熊碓という住所表記はないのであるが、この神社名と、東小樽海岸に流れ着く小さな川が熊碓川、平磯岬を突っ切るJRトンネルの名前にかろうじて熊碓の名前が残っている。ただ、まだまだ東小樽海岸を熊碓海岸と呼ぶ年配者も多い。ちなみに私もその一人。海岸のすぐ近所、桜2丁目に実家のある私の家内は、東小樽海岸と呼んでいるのだが・・・。

 さて、熊碓神社であるが、元々は文化12年(1815年)、今の銀鱗荘斜面中腹に建てられたのが、起源とのことだ。まだまだ江戸時代、明治維新に向けて一気に加速する黒船来航より、40年近く前の事である。

 すでに、当時の蝦夷地日本海側には、ニシンや秋鮭漁のため多くの和人が移住していて、豊漁、海上安全を祈願するための神社がいくつも創建されている。小樽市内では、海岸沿いにある、高島稲荷、銭函豊足、蘭島、忍路、塩谷、朝里、張碓稲荷などの各神社は、江戸時代の創建で、今の小樽中心部に位置している、小樽三大神社と呼ばれる住吉神社、水天宮、龍宮神社よりも古い歴史を擁している。

 さて、熊碓神社のその後であるが、平磯岬の斜面から紆余曲折があり、町内を一望できる現在地に、昭和34年(1959年)10月に移転している。そして、昭和48年(1978年)、老朽甚だしくとの理由で、現在の社殿に改築されたと由緒書に記載されている。

 桜ロータリー開発から、田園調布のようなヨーロッパ型の新興住宅地のイメージのある桜町地域(住居表示は桜のみだが、市民の多くは桜町と呼ぶ)であるのだが、熊碓神社の歴史をひも解くと、また違った一面が見えてきたのだった。

(斎藤仁)