旧坂別邸

 旧坂別邸は昭和2年に建てられた見晴町にある小樽の歴史的建造物であった。大正から昭和にかけて北海道を拠点に活躍した田上義也氏設計の建築物であり、赤い屋根とピンク色の外壁、炭鉱主の別宅であることから「赤別荘」と呼ばれていた。
 非常に残念なことに、2007年の5月26日に火災により焼失してしまった。現在は更地となっている。

 私はこの建物が好きだった。
 坂別邸は石狩湾が一望できる高い場所に建っていた。札幌から小樽に行く際、5号線を車で通り、小樽市のカントリーサインを確認した後、銭函に入ってすぐのあたりで車内から上を見上げると、坂別邸と白樺の木が見えた。
 車で通るたびに、私はいつも坂別邸を見上げて、ほんの一瞬、瞬きすると見逃してしまうくらいだが、ピンクの建物が見えるのを確認しては温かい気持ちになっていた。
 しかし、火災後は、しばらくの間、火災で折れてしまったであろう黒く焦げてしまった白樺の木だけが5号線から見えるようになってしまい、以前はここを通る度に温かい気持ちになっていたのが、なんとも言えぬ寂しい気持ちに変わってしまった。現在はその木も見えなくなり、5号線からはどのあたりに坂別邸があったのか正確にはわからなくなってしまった。

 坂別邸は、映画ラブレターでも使われており、あくまで私の主観だが、この家は、ほぼこの映画の主役と言っても過言ではないほど、私にとって大変印象深かった。映画ではこの家にスポットライトが当たっており、玄関先でのやりとり、縁側や庭など、重要な役割を果たしているように見える。
 玄関先から見ると赤い屋根の可愛らしい小さな家に見えたが、奥行きが長く横から見ると、大変立派で大きな家であることがわかる。映画では家の内部も映されており、六角形の部屋や、窓に小さく四角い青いステンドグラスが貼られてあったりと、凝った様子が伺える。

 小樽にある田上義也氏の建築物は、坂別邸がなくなってしまった今、私が知る限りでは入船の坂牛邸、富岡の高田邸の2つである。

 なお、坂別邸の話から少し脱線してしまうが、入船の坂牛邸については私の中で思い出がある。私が緑小に通っていた当時、図工の時間に小樽公園を写生した時があり、同じクラスの皆は白樺など公園の風景を描く中、私にはエメラルドグリーンの外壁の大きな洋館、坂牛邸がとても魅力的に見え、坂牛邸を絵に描いた。
 窓を描く際も、この辺りがキッチンなのかな、などと想像を膨らませていた。白と緑と青の絵の具を混ぜ、坂牛邸の外壁のような綺麗なエメラルドグリーンを作るのに試行錯誤を重ねた記憶がある。
 当時、歴史ある建物とは知らず、こういう素敵な家に住んでみたいという憧れみたいなものから描いた。

 坂別邸の存在は、その頃はもちろん知らず、後から映画を観て初めて坂別邸の存在を知ることとなった。坂別邸を見た時に、何かは分からないが懐かしさを感じる自分がいた。
 坂別邸への興味が湧いて調べていくうちに、小学生の頃描いた「憧れのエメラルドグリーンの家」が、坂別邸と同じ田上義也氏設計の建築物であることを知った。懐かしいと感じた理由がわかったのと同時に、自分の感性が小学生の頃とその15年くらい経った頃と変わっていないことに、嬉しさを感じた。

 坂別邸が焼失してから12年、先日5月26日、偶然この日に坂別邸のことを思い出した。12年前の春、3月中旬くらい、雪解けの季節に坂別邸の近くを訪れたのが坂別邸を肉眼で見た最後となった。
 この時、5号線から見たのではなく、初めて正面から見た。民家なので玄関先など近くには行かずにあえて少し遠くからであったが、ちゃんと見たのはこれが最初で最後だった。

 5号線から見上げてももう見えないが、ピンク色のおうちは今でも私の目に焼き付いている。建物がないと分かっていてもそこを通るたびに見上げる習慣がついているようだ。

※写真は知人からお借りしたものです。

(hiroe)