旧小樽女子短大

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 私が緑小学校の4-5年生の頃だと思う。入船公園で遊んでいた時の事、遠くの丘の上に学校らしき建物が見えたのだ。あの建物は何だろうとは思ったのだが、公園からそこまで探検???しに行く勇気もなく月日は流れ、ほどなくそれができたばかりの小樽女子短期大学だと教えてもらった。その丘の名前が聖ヶ丘だと分かったのは、それからかなり後のことである・・・。

 団塊の世代が大学入学時期にあたる昭和40年以降、全国に女子短大が雨後の筍のように新設された。小樽でも昭和42年(1967年)、最上町の千秋通りで昭和高校を経営していた学校法人昭和学園が、入船町の聖ヶ丘に小樽女子短期大学を開校させた。

 小樽市民は略して「女子短(じょしたん)」と呼んでいた。私たちの世代も開校10周年頃にあたる昭和50年代に多数入学している。初代の学長が、英語教育の権威小樽商大名誉教授だった木曽栄作氏で、学長が木曽(基礎)の栄作(英作)だもの、英語に強いよなと洒落て言っていた塾の先生を思い出す。

 この「女子短」他の道内女子短大が学生確保のための手段として、共学4年制に移行していった流れの中、平成11年(1999年)共学短大に移行したのだが、時代の波に抗えず平成20年(2008年)に41年の歴史に幕を下ろしている。

 その後、運営母体の学校法人も代わり、現在は学校法人共育の森学園として、昭和高校(現明峰高校)の夜間に開校していた小樽看護専門学校という准看護師が勤務終了後に正看護師を目指す学校がここに入り、前述明峰高校共々運営している。

 また、短大時代に放送室だったところには、平成21年(2009年)よりエフエムおたるが入居し小樽市内にコミュニティ放送の電波を飛ばしている。さらにサイマルラジオでインターネット回線を使い、パソコンやスマホを利用すると世界中で聴取することが可能な時代となっているのはご存じの通り。

 「女子短」時代には、訪れる事はほとんどなかったのだが、エフエムおたるが入居してからは、年に数回イベントの後援やポスター貼付、フライヤー配布のお願いでおじゃましている。

 ここは聖ヶ丘の上ということで、冒頭入船公園のみならず、南小樽方面等市内いろいろなところから望むことができる。ただ、入船本通り側から上がるのも、入船公園側から上がるのもなんとも分かり辛い入り組んだ小路を進まなければならない。

 さらに極めつけは、北ガス小樽支店と天上寺の間の小路を進み、クランクから一気に上がる急坂である。小樽に数ある車が上れる坂では一番勾配のきつい坂ではと思う。興味のある方、下りも含めてぜひ挑戦してみてほしい。

(斎藤仁)