地獄坂

zigokuzaka

僕が小樽商大を受験したのは、昭和56年、1浪の冬のことである。

現役の時は、共通1次試験の結果がお話にならない点数だったので、小樽商大を受験することなく浪人が決定し、その1年後、なんとか受験することができた。

僕は札幌に住んでいるので、それまで小樽商大に行ったことがなく、初めて行ったのは2次試験前の下見だった。

今でも覚えている。

札幌駅から乗ったのは、電気機関車に牽引された木造の茶色い客車だった。
猛烈に寒い日で、赤い電灯に照らされた客車内はひんやりと薄暗く、また、座席の窓には霜がビッシリ凍りついており、外が全く見えなかった。
そのせいか、海を見た記憶がない。

小樽に着き、バスに乗り替え「商大通り」で降りた。
そこからは地獄坂を歩いて登らなければならない。
その当時、まだ小樽商大行きのバスはなかったのだ。
バス停から、ビッシリ凍りついた地獄坂を歩いて登った。
滑らないように踏ん張って坂を登るというのは、思った以上に疲れるもので、小樽商大に着いた時、僕はヘトヘトになっていた。

「こりゃ、通うの大変だ」
合格もしていないのに、そう思った。

初めて見た商大は予想をはるかに超えて小さく、高校かと思った。
僕が思い浮かぶ大学のイメージと言えば、北大であり北海学園大だったからだ。

2次試験は、英語が強烈に難しかった。
試験が終わり、がっつり肩を落とした僕は
「地獄坂もこれが最後だな」
と思いながら、坂を歩いて下りた。

合格発表はラジオで聞いた。
当時はラジオで合格者の名前を放送しており、北大クラスになればテレビで放送していた。

何とか名前が呼ばれ、晴れて商大生になった僕は、今度は新調した背広を着て、入学式に出席すべく再び地獄坂に臨んだ。

が、地獄坂は一筋縄ではいかない。

今度は雪解け水が川のように激しく流れていた。
せっかく新調した革靴やズボンを汚したくない。
僕は雪解け水を避けながら、蛇行して登った。
これはこれで非常に疲れるのである。

入学してからは「相乗りタクシー」を知り、地獄坂を歩いて登ることはなくなった。

・・・そういえば、今は商大行のバスがある。相乗りタクシーの伝統は続いているのだろうか。

大学生活は楽しかった。
2年生になって小樽に住み、もっと楽しくなって、結局、5年間学校に通った。

・・・そして、小樽が大好きになった。

今は受験シーズン。
小樽商大を目指す学生さんも多いことだろう。
それぞれの想いで、ぜひ地獄坂を登ってもらいたいと思う。

そして、大変僭越ではあるけれども・・・

がんばれ、受験生。

(みょうてん)