記念シャンツェ

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 小樽潮陵高校の裏山、小樽市潮見台の住宅街に挟まれてそのジャンプ台はある。現在は、小樽潮見台シャンツェというが、私が子供の頃は記念シャンツェと言っていた。

 何の記念かと言うと、昭和8年(1933年)現在の天皇陛下が、皇太子としてお生まれになった記念に、北の誉の二代目野口喜一郎氏が、私有地である現在地に造営し、小樽市に寄贈したものである。ご存じ当時から小樽は、ジャンプ王国と言われ、数多くの名選手を輩出している。ここで練習し、世界に羽ばたいていったのである。

 小樽のジャンプ台は、昭和2年(1927年)に造られた、天狗山の小樽シャンツェ(現在は撤去されている)が有名であったが、そこは、大きな大会を開催するジャンプ台で、更に、昭和47年(1972年)札幌オリンピックに合わせて、80m級を90m級に改修し、隣に新たに70m級を増設した本格的なものだった。それ故、アプローチ、ランディングバーン、ブレーキングトラックの整備にコストがかかり、地元中学、高校選手の練習やローカル大会は、当時50m級だった、この記念シャンツェで行われていた。

 後に、子供たちのため両隣に、30m級、20m級と増設し、小樽ジャンプのメッカとして、3つのジャンプ台が並ぶ施設になって行った。現在はミディアムヒル、スモールヒルの2基に改修され、小樽スキー連盟ジャンプ部会のボランティアによって整備されている。

 小中学生対象の小樽ジャンプ少年団は、札幌オリンピックの翌年昭和48年(1973年)に発足した。最盛期の昭和50年代には150名を超える団員数を誇っていた。実は、私も中学1年の時、クラスメート数人と共に、この150名の中の一人に名を連ねていた。

 入団初心者は、潮陵高校にあった20m級ジャンプ台のランディングバーンを、普通のスキーで滑り降りるところから練習は始めた。しかし、なにしろ100名を超える人数である。2-3回滑ったら終わってしまうのであった。結局、仲間と共々1回の参加で終わり、この記念シャンツェには行かず仕舞いで、私のジャンプ人生は終わってしまった。

 後年、ある夏の日の夕方、低学年だった息子を連れ、この記念シャンツェミディアムヒルのアプローチ頂上まで上がったことがある。その時に、ランディングバーンの見えないの恐怖感に、改めてこの台を跳ばなかった判断は正しかったと確信したと共に、ジャンプ選手の凄さを実感したのだった・・・。

(斎藤仁)