旧岡崎家能舞台

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「公会堂には、立派な能舞台があるんだと」
「へぇー、どこに?ところでなに能舞台って?」
「能舞台かい? お面をかぶってやる、あのお能をやるところさ、時代劇に出てくるしょ、大名のお城とかで、お殿様の前で舞うやつさ」
小学生の頃に母とこんな会話をかわした記憶がある。

 ここは、私が子供の頃(昭和40-50年代)は間違いなく、いつも雨戸で閉まっていて開いたことはなかった。それが近年、能を親しむ会、旧岡崎家能舞台を生かす会を中心に、整備が進み、夏季限定ではあるが一般公開や能体験がなされている。ちなみに、本格的能舞台は東北以北唯一ということだ。

 私の能楽知識と言えば、中二社会歴史の教科書に出てきた、観阿弥、世阿弥親子が能楽を大成した、という事ぐらい。それを試験のために丸暗記しただけであった。能面を付け舞うということはわかっているが、テレビでも見る機会はほとんど無かった。

 この能舞台は、住吉神社横の坂を上った、入船町にあった荒物雑貨商として財をなした岡崎謙氏が、大正15年(1926年)に自宅中庭に建てたものである。子供の頃にこの岡崎邸の能舞台を見た元大学教授からの聞きかじりだが、能舞台も含め岡崎邸は、それは素晴らしいものだったと言っていた。

 氏の死後、小樽市に寄贈され、昭和36年(1961年)、小樽市公会堂が現在地に移転したのに伴い一緒に移築されたが、前述のように雨戸で閉められ、20年以上にわたり無用の長物のような扱いを受けていた。このような事は、小樽のみの事ではなく、一部を除き全国的に歴史的、文化的に価値がある、建造物や家屋が運営費や活用方法の未整備で放置されてきたのである。

 この能舞台が、北海道の風雪に耐えながら、壊されなく今に息づいているという奇跡に感謝しなければならない。また、生かす会には、能、狂言の普及により、この歴史的に価値のある、北海道唯一の能舞台を小樽の誇りとして後世に伝えていただきたい。

(斎藤仁)