小樽は謎の街?!!

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明治以降、日本近代建築の礎を築いた、工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)第一期卒業生4名のうち、3名が小樽に作品を残している。

小樽の歴史的建造物を語るときに、必ず出てくるのが、このくだりである。

ちなみに4名全員が作品を残しているのは東京のみで、3名が残しているのは小樽、2名が残しているのが大阪、京都、神戸である。一地方都市という観点からすると、大変驚異的なことである。

改めて、3つの作品を時系列にご紹介する。
旧日本郵船小樽支店(明治39年/1906年)(佐立七次郎設計 国の重要文化財に指定)
日本銀行旧小樽支店金融資料館(明治45年/1912年)(辰野金吾設計)
旧三井銀行小樽支店(昭和2年/1927年)(曽禰達蔵設計)

それでは、小樽に作品を残さなかった片山東熊とは?
片山は、宮内省の設計技師で、皇室関連の作品しか残していないと言われている。

ふと、私は考えた。小樽市公会堂(明治44年/1911年)は皇太子(後の大正天皇)が北海道を行啓する際に、御旅館として建てられた。この建物に片山の足跡はないものかと・・・。
設計は木子幸三郎、明治7年生で、片山より20歳年下の宮内省技師である。片山と同じく東大工学部建築学科の卒業で、皇室関連の作品を多く残している。

面白い資料を見つけた。公会堂建立と同じ、明治44年に旧竹田宮邸 (現・グランドプリンスホテル高輪貴賓館)が、片山、木子の共同設計とあるではないか!!!

共同設計の詳細はわからないが、幾度となく打合せを重ねたことは想像できる。その時に、小樽の「御旅館」に関するアドバイスを直属の大先輩片山から、いただいたとは考えられないだろうか?

残念ながら、そんな事例は発表されていない。でも、どこからかそんな歴史的な資料が出てはこないものだろうか。想像するだけでわくわくする。

公会堂があるのは小樽公園内、住所で言うと花園町、ひらがなで書くと「おたるはなぞのまち」。「小樽は謎の街」とも読める。オヤジギャグであるが…。

(斎藤仁)