直行寺

 直行寺(じきぎょうじ)は、緑1丁目にある明治20年(1887年)創建の、小樽市内でも指折りの名刹の一つである。今も小樽市歴史的建造物として堺町通りに残る金子元三郎商店で有名な初代小樽区長を努めた、五代目金子元三郎の祖先、金子家による私財の寄進により建立された古刹である。

 創建当初は、富岡町の船見坂付近にあったそうなのだが、明治38年(1905年)函館・小樽間の鉄道が開通し、立地が線路の近くだったこともあり、蒸気機関車の煙から逃れるという理由で、現在の緑町に移築させたと現住職の野村定弘さんが教えてくれた。

 前述の所以から、戦前は「金子の寺」と称されていたそうで、野村住職曰く、先代の話としてこんな事を教えてくれた。
 「とにかく、檀家なんてものは少なくても、金子家だけで十分だったと・・・」
 「亡くなった先代の話しだが、戦前、今の西陵中学校下にあった金子邸に月参りに伺うと、お寺の本堂より広い仏間に通されたそうだ」

 そんな金子邸も、戦後マッカーサーの財産税で物納され、残念ながら戦後の早い段階で解体されたという。

 私は子どもの頃からこのお寺は「ちょっこうじ」と読むものとずっと思っていた。というか、大人も子どももみんな「ちょっこうじ」と呼んでいたはずだ。今もある緑第二大通りにあった立て看板にも「じきぎょうじ」のふりがながあったわけでもないので、みんなと同じにずっと「ちょっこうじ」だと思っていたのだ。

 後年、直行寺が運営しているまや幼稚園の卒園生から、「ちょっこうじ」ではなく「じきぎょうじ」と読むのが正解だと教えて頂いた時は、驚いたのと同時にまさかと思ったものだった。

 それ以降、いろいろな人にこのお寺は「じきぎょうじ」と読むのだと、鼻高に教えているのだが、私同様「ちょっこうじ」という愛称の方が多くの方々に浸透しているのを目の当たりにしている。

 野村住職は以下のように教えてくれた。直行寺の正式名称は、「金元山 斎祥院 直行寺」という。山号の金元山は、推察の通り金子元三郎の事。院号の斎祥院は、金子元三郎の院号。直行は金子家二代目元右衛門の幼名であるとの事だ。
 戦後は金子家の庇護を受けることなく、地域に根ざした布教活動で名刹を守っている。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2019年12月時点の情報に基づいたものです。