最後の艀
小樽運河の北の端手宮側に、小樽に唯一残る艀(はしけ)が、係留されている。この艀が係留されている北運河地域は、建設当時の幅員40mを残す文字通り運河としての機能を残している。道路建設のため幅員を半分にしてしまった南運河と一線を画している。
小樽市としても、この北運河地域の活性化と声高に叫んでいるのであるが、観光客のほとんどは、幅員20mに埋め立てられた南運河に集中している・・・。
さて、当初はこの場所に二艘(そう)の艀が残され保全されていた。しかし、毎年冬になると水漏れを起こし、修理するとまた翌年違う箇所が水漏れを起こしの繰り返しで、とうとう一艘の保全を諦め、止む無く処分してしまったと聞いている。
現在大人気の中央橋発着の運河クルーズ船であるが、当初の計画は、小樽運河の南端、浅草橋街園とこの艀を行き来させるものであった。残念ながら監督省庁の認可が下りず、浅草橋から小樽港に出てこの艀のある北運河でUターンをして浅草橋に戻るという、ご存じのコースとなったのだ。
平成30年(2018年)で7回目を迎える、この艀前の運河公園で開催している「~夏の終わりの~北運河サウンドエナジー」という音楽総合インベントも、このクルーズ船が浅草橋と北運河を行き来するという前提で、商工会議所からの依頼に応えた形で新設されたイベントだったのだ。
小樽運河の最盛期、大正時代には600艘以上の艀が用意されていた。それに伴う倉庫、馬車、人夫。多くの人たちがこの運河で働き、生活していた。この艀はそれの最後の生き証人の一つであるのだ。
この最後の艀は、今も昔も立入禁止となっている。写真を見ていただいてもわかる通り、床板の傷み具合も相当なものだ。専門家でないので細かな数字は解らないのであるが、保全に対するランニングコストは相当なものだと思う。
しかし、どうにか、アイデアを募り夏の間だけでも起業希望の若者にカフェでもやってもらえないかと、勝手に思っているのだが読者の皆さんは如何にお考えか・・・。
(斎藤仁)