南樽繊維問屋街

 南樽繊維問屋街は南小樽駅から入船鉄橋までの鉄路、入船大通り、三本木急坂とに囲まれた、入船町と住吉町にまたがる地域である。ここはかつて50社以上の繊維問屋が集まり、朝鮮戦争の特需があった昭和20年代後半から30年代前半にかけては、全道シェアのほとんどを占めていた時代もあったという問屋街であった。

 それに伴い、接待用のキャバレーや飲み屋街も形成され、私たちの北海道社交ダンス業界記念誌によると、小樽最初のダンスホールもこの界隈にできた住吉ホールだったと記述されている。

 私も昭和40年代はじめ、この問屋街に母親のお供で買い物に来た記憶がある。緑町から中央バス山手線に乗車し、南樽駅下バス停で下車し問屋街に立ち入ったわけだが、まるで別の街にきたような感じだったことを覚えている。服飾量販店のなかった時代、キャスターハンガーに所狭しと掛けられた数多くの洋服、奥の蔵の中にある大量の段ボール箱を見て、子供心にとても驚いたのだ。

 今になって冷静に考えると、デパートや大型洋服店も同じような品揃えだったのだろうけれども、通りの両側が問屋街というインパクトに驚嘆したのだろうかと、改めて自己分析している。

 現在でもその名残を残す看板や店舗跡が数多く残っているが、この南樽繊維問屋街は、写真のハイダ商事はじめ厚谷、織新の3軒しか営業していない。個人で営業しているところもあるかもしれないが、数年前に小樽繊維組合が解散してしまったので、詳細はわからないと拝田昇ハイダ商事社長が教えてくれた。

 ハイダ商事の先代であった故拝田和夫氏は、私のJC、RCの先輩でよくかわいがっていただいた。故人は生前、衰退していった問屋街について、時代の波と共にみんな桑園に移ったり、廃業したりしていったけれど、小樽が好きというだけでここに残っているんだわ、とおっしゃっていたことを思い出す。

 今後、最盛期のような問屋街には戻らないかもしれないが、小樽の観光スポット「メルヘン交差点」入口として新たな南樽駅界隈が少しづつ問屋街から新たな街へと活性化しているように感じている。

(斎藤仁)