『画』になるくらし

小樽の風景は、とても『画』になるものばかりだとつくづく思う。
まるで物語の登場人物になったような気分になる景色が、豊富にあるからだ。

私はサークルで、映像作品を何本か作成したことがある。
せっかく小樽の大学に通っているのだからと、小樽らしい風景が撮れるよう考えて動いた。だが、その心配は無用で、小樽は独特の地形や風景があって、どこで撮っても何とも言えないいい雰囲気が出る。

私は10分程度のショートムービーを撮った際に、この公園を最初の舞台にした。
人が集まる公園とその奥に広がる街並み、そして海がいっぺんにとれる場所だったからだ。眼下に港町が見える、小樽を象徴した景色はわれながらいいチョイスだったと思う。

作品の撮影をしたのは夏だったが、今の季節はすっかり雪が積もって遊具なんかもみんな埋まってしまっている。
けれども冬は冬で、親子連れがスキーやそりを持って公園にやってくる。
北海道のどこででも見られる風景だが、その後ろには海が広がっている。
海のない街で育った自分からすると、それは見慣れない風景だ。
ありふれた日常のようでそうでない、どこか非日常的な風景に見えてくる。
その感覚がきっと小樽が物語の舞台に向いている理由だと思う。

小樽の景色は、なんだかこれからちょっと変わったことが起こりそうな気にさせてくれる。
自分が普段感じているものとは違う、わくわく感のようなものに包まれる。
けれども、それはヨソモノの自分だから感じるものであって、ここで遊んでいる子供たちにはこれが日常なのだ。

なんだかちょっとうらやましい。

こんなにも『画』になる暮らしはなかなかない。
カメラをかまえれば、まるで映画のワンシーンを切り取ったような景色が映る。
自分の普段の暮らしとは違った世界が、そこにあるように感じる。
けれどもこうしている時、私も同じ風景の中に身を置いている。
物語の舞台のような小樽の景色の中で何か起こりそうな気がしたが、何事もなく一日が過ぎていっただけだった。

(えりまくとかげ)