西陵中学校

seiryo_jhs

西陵中学校を初めて見たのは、昭和41年(1966年)の春、商大通り旭展望台入口付近に美唄から引っ越してきたばかりのころだった。岩見沢から遊びに来ていた祖母を伴い、父親、姉の四人で夕食前の散歩に出ようと旭展望台への観光道路を歩いていた時だった。

展望台入口から小さな上りカーブをいくつか過ぎると眼前に旭展望台が望める地点がある。現在は樹木が生い茂りその場所で展望台を見る事はできないのだが・・・。
当時この辺りで舗装が途切れていたので、散歩はここまでだったのだが、その眼下に西陵中学校の先代木造二階建校舎と屋外プールが見えたのだ。

「あの学校はどこ」と父親に聞くと
「あそこは西陵中学だ。このまま今の家に住んでいたら通う中学校になるぞ」
と小学2年生の私に言った。

その後、この場所から何度も西陵中学校を眺めることはあったのだが、実際に西陵中学校の校門のところまで行ったのは、この写真を撮りに愛犬と散歩にいったのが初めてである。

西陵中学校は中心部の学校という事もあり、市民は菁園中学校と共に他校より名門感を強く感じているように思う。歴史をひも解くと、前身は大正10年(1921年)開校の区立小樽高等女学校。ちなみにもう一方の名門、菁園中学校の場所には、明治39年(1906年)開校の庁立小樽高等女学校(現桜陽高校)があったことが知られている。

大正・昭和初期の高等女子教育の場所というのが、現在の名門感につながっているとは考えられないだろうか。

その後小樽区が小樽市になるのに伴い、小樽市立高等女学校となり、戦後の学制改革で新制中学の旭ヶ丘中学校に歴史は引き継がれていった。

しかし、昭和32年(1957年)、富岡中学校が富岡小学校に改編されるのに伴い、旭ヶ丘中学校と富岡中学校が合併し、新たに西陵中学校が誕生したというわけである。私が観光道路の上から校舎を眺めたのは、西陵中学校になってまだ9年目を迎えた時であったのだ。

現在の西陵中学校は、天狗山の麓松ケ枝中学校との合併が取り沙汰されている。工業高校と商業高校が2018年度に合併し、工業高校の校舎で新設校を作るということで、空いた商業高校校舎を利用し、新設中学校を作るという案が中学校適正配置計画で出されている。今後、どのような展開になって行くのか興味津々だ。

(斎藤仁)