石原裕次郎
サンモール一番街にある新海金物店向かい側、アーケード街鉄柱壁面に石原裕次郎の主演映画ポスターと、大きなブロマイドポスターが展示されている。
これは、平成29年(2017年)に惜しまれながら閉館した石原裕次郎記念館所蔵のポスターを大森産業の大森富美男さんが譲り受け、会社倉庫に保管していたものをこの壁面に常設展示しているのである。
石原裕次郎が兄慎太郎と共に、小樽に縁があるのはよく知られていて、藤幼稚園(旧名マリア幼稚園)を卒園し、稲穂小学校に通っていたのは多くの小樽市民は知っている。
兄慎太郎が、はじめて東京都知事選に出馬した時、石原軍団が応援演説に駆り出され、「私は裕次郎の兄です」という有名なフレーズを残していた。当時から作家、政治家として石原慎太郎も十分有名であったのだが、それ以上に石原裕次郎が有名だったとのエピソードとして使われるフレーズである。
そんな石原裕次郎であったが、時が経つにつれリアルタイムで知らない世代も多くなり、今では逆に石原慎太郎の弟だった俳優となってしまっているようだ。
私が小中学生だった昭和40年代は、緑2丁目に裕次郎一家の住んでいた住宅が残っていていた。当時でも古かったが、小洒落た洋館を遠くから眺めた事を思い出す。
私たち世代にとっては「太陽にほえろ」のボス役、「西部警察」の小暮課長役の印象が大きく、どっしり構えている俳優という印象だったが、私たちの前世代の方々にとっては、日活映画のアクションスターとしての存在が強いのかと思う。
余談だが10年ほど前、私のダンス教室生徒さんが、石原裕次郎の日活映画「嵐を呼ぶ男」に出演したことがあるという驚きの話しをした事があった。
慶応大学のワグネルソサィエティーという学生オーケストラに入っていたその生徒さんは、石原裕次郎が片手でドラムを叩くシーンのバックで、在学中の同窓ということで同好会メンバーが駆り出されたというのだ。
ところで、どのくらい出演したのかと聞くと、ほんの1-2秒だがと鼻高々にお答えに・・・。齢80を超えた生徒さんの最高の自慢話を聞かせていただいた。
(斎藤仁)
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※本記事の内容は2020年7月時点の情報に基づいたものです。
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