第二期運河

 勝納川河口には、もうひとつの小樽運河がある。第二期運河とか第二運河と呼ばれているのだが、観光客はもちろんの事、小樽市民にもあまり知られていない存在だ。

 山が海までせり出していた小樽は、平野部分がほとんどなかった。故に明治の早い段階から、現在の有幌町あたりから海岸沿いを埋め立て石造岸壁を造成していった。

 その小樽港造成過程の中で埋め立て式の小樽運河が大正12年(1923年)に完成し、この第二期運河は昭和11年(1936年)11月に完成している。

 私がはじめてこの第二期運河を見たのは、潮陵高校1年の学校祭仮装行列に使う木材探しに、現在のケーズデンキ付近に多くあった製材会社を訪ねた時だった。

 ボート部だった同級生が、この先に見える勝納川河口がボート部の練習場だと教えてくれたのだ。そしてその場所も保存運動で有名な小樽運河と呼ぶことも教えてくれた。

 その当時臨港線はすでに有幌町までは完成していた。その臨港線を渡りボート部の練習拠点を興味半分で見に行ったのだ。

 すでにその第二期運河も今と同じように廃船の佇まいの磯釣りボートが放置され、堆積した土砂にかもめや海猫が羽を休めていた。

 第二期運河も運河としての機能は既に果たしていなかったので、汽船の波の影響を受ける港内では練習も難しかったが、ここは波の影響を受けずに直線の練習ができる格好のボート練習場となっていたようだった。

 第二期運河の山側には小樽市公設青果地方卸売市場があり、そのすぐそば臨港線沿いに明治より続く「小林鋸店」がある。ここの五代目小林英夫さんは私の業界の大先輩でもある。この小林先生から昭和20年代後半の、第二期運河の話しを聞いたことがある。

 「夏になると、家から兄貴や弟とパンツ一丁で運河に飛び込んで泳いだものさ。もちろん近所の子どもたちも一緒。トラポの海でも泳いだよ。危ないもへったくれもない時代だったからなぁ。」

 トラポの海とは、石炭積出施設トランスポーターの設置されていた今のウイングベイ小樽あたりかと思う。

 「小林先生、家庭排水も川に流れていた時代ですから、第二期運河も汚かったんじゃないですか」と聞くと、

 「石炭で真っ黒だけど、そんなのお構えなしさ。暑さにかなわないし、海からよく貝なんか取って食べてたわ」

 現在、第二期運河や小樽港で泳ぐ子どもたちはいないが、その頃は、当たり前の光景だったと教えてくれた。

 時は流れ、第二期運河は秋になると鮭が遡上して、それを狙う密漁者もいるという。しかし、なんと言ってもかつての漕艇王国小樽を支えるボート競技の練習拠点としての存在が大きいのだ。

(斎藤仁)


※本記事の内容は2020年6月時点の情報に基づいたものです。