車窓から小樽を覗く
小樽駅へと向かう電車の中、丁度銭函駅の辺りからであろうか、人々の視線の多くは手元の携帯電話ではなく、窓の外に注がれる。なぜなら、車窓いっぱいに青い海が広がっているからだ。
乗り合わせた車内には国内外を問わず訪れる大勢の観光客であったり、はたまた小樽に住む地元の人であったり、仕事に行く人や私のような学生など、向かう場所も目的も異なる様々な人がいるが、海を眺める表情は不思議と皆一様にどこか柔らかいように感じる。
小樽の海は、ただ眼前に広がるだけの海ではない。行きは小樽への期待に輝くプロローグとなり、帰るときには過ごした時間や目にした風景を記憶に刻むエピローグとなって私たちの目に映る。
例えば天気の良い日には、小樽ガラスの浮き玉のように透き通っていて美しい色を見ることができ、ときに海面が夕焼け色に染まると、運河沿いに立ち並ぶガス灯の明かりを思い出させるような幻想的な景色に息を呑むこととなるだろう。
その人にとって小樽を訪れたのが特別な日であっても、あるいは日常の一コマだとしても、人の気持ちや記憶に寄り添ってくれるのは、小樽の街の幽玄な佇まいがあってこそだと私は思う。
観光の中心地へと先を急ぐ人は多い。
連日小樽行きの快速電車はすし詰め状態で、 折角の美しい海も人の波に飲まれてしまって、よく見えないまま通り過ぎてしまうことが多い。
少し時間は掛かってしまうが、快速電車を乗り換えて各駅停車の電車に乗ってみるとまた違う雰囲気を味わうことが出来る。乗車する人の数が快速電車よりもまばらなおかげで、時間帯によってはゆったり座りながら車窓を独り占めすることも出来てしまうのだ。
まるで自分のためだけに用意されたような青い海が車窓に、そして視界いっぱいに広がる瞬間は、映画のワンシーンを見ているかのようでただただ圧倒される。
是非海を通して小樽の情景をいつまでも記憶に、そして心に刻んで欲しい。
(ふわふわぽむぽむ)