歴史深い塔
これはいったい何だろう。
私が「顕誠塔」を初めて見た時の感想である。
地元から引っ越してきて、まだ知らない小樽を散策しようと思い立った4月。あちこち歩き回ってみるといいよ、という先輩の勧めもあった。
手始めに、スマートフォンで家の近くの地図を見た。すると、「小樽公園」という大きな公園があったのだ。
興味をそそられたので、行ってみることにした。
小樽は坂の街だ、という言葉はよく耳にする。それに違わず、小樽公園の道にも多くの起伏があった。軽い登山気分で散策できる公園だ。
辺りを見回しながら歩いていると、丘の上に日本家屋の屋根のようなものが見えた。あそこにはいったい何があるのだろう。気になったので丘を登った。運動不足には辛い傾斜だったが、何とか登り切るとそこは開けた場所で、その屋根を持つ建物があった。どうやらそれは社務所であるようだ。それよりも目を引いたのが、広場の奥にそびえる「顕誠塔」だった。
顕誠塔は日露戦争終戦後の1923年に、戦死した人々を慰霊するために建立された。
小樽の経済界や在郷軍人が中心となって活動し、建立には18年の歳月を要した。
当初は顕誠塔ではなく「忠魂碑(昭忠碑)」と称されていた。しかし、第二次世界大戦の終戦を迎えた1945年、それまでの軍事的なあり方が再検討された。その結果、小樽の発展に貢献した人々も合祀されることとなり、現在の「顕誠塔」に改称された。
顕誠塔は17mの高さを誇り、これだけ大きな規模の慰霊塔は他に類を見ない。塔の頂点の鳥は日本軍人のシンボルである「金鵄」だ。その高さと翼を広げた金鵄の姿からは勇ましさが感じられ、揺れる木々を背に立つ姿は見る者を圧倒する。
建立の翌年からは、合祀者を慰霊する「招魂祭」が行われている。小樽では最も早い5月に挙行される祭りだ。この祭りを皮切りに、小樽では多くの祭りが開催されることとなる。
観光客でにぎわう小樽の街。その賑やかな雰囲気からは一線を画し、厳粛で静か、神秘的な空気を醸し出す場所が顕誠塔だ。ぜひ訪れてその歴史に触れてみてほしい。
(たむら)