山の手小学校
小樽公園南側にあった小樽市自動車修理工場跡地に、平成30年(2018年)4月、山の手小学校は開校した。
緑小学校、最上小学校、入船小学校の一部の児童が集まって新設された小学校だ。初代校長先生は上泉哲氏。緑小学校最後の校長先生を務めた先生だ。ちなみに、私の松ケ枝中学校の一学年下。野球部のキャッチャーだったスポーツマンだ。
小樽市の人口減、少子化が原因で、悲しいかな今後も小中学校は統廃合されてゆく運命にあるのは、読者の皆さんも、ご存じの通りだ。まあ、全国どこも同じような状況であるのだが、小樽は少し早く進んでいるとの事。
この山の手小学校は旧緑小学校の真裏に位置している。前述した通り小樽市の自動車修理工場だったので、子どもの頃に中で遊んだ経験はない。しかし、この学校前道路は、私の緑小学校への通学路だったので、遠巻きに、除雪車やバス、トラックなど小樽市の車両が数多く置かれていたのと、道路に面した修理工場で車が修理されている様は、毎日見ていた。
昭和40年代前半、この近所で友だち数人と遊んでいた時の事、一人が、ここには昔、大きな池があったと言い出した。俺も知っていると言い出す友だちもいて、まったくそれを知らない私は、悔しい思いをした事がある。悔しいというのも変わった感覚で、池があった当時、小樽に住んでいないのだから、知らないのは当然の事なのだが・・・。
調べると、ここには大正時代から、千登勢温泉という温泉付き料亭があったそうだ。廃業の後も、昭和30年代後半まで、池だけは存在したという事だ。友だちが池を見たという年代も合致する。
話しは変わり、後年、小樽体育協会新年理事会での事、理事を務めるある元校長先生が、この千登勢温泉の話しを始めた。なんでも、大正2年(1913年)、前述千登勢温泉を始めたのは、自分の祖先福田為吉だというのだ。小樽市史にも記載されているという。
その福田先生、退職後に自分のルーツを探っていく過程の中で、千登勢温泉最後の経営者の末裔に行きついたと言う。さすがにネット社会、年代探究も昔と違いキーボード一つでできると言うわけだ。
歴史とロマンの街小樽は、市井の人々の中にも、いろいろな物語が数多くあることを、教えてくれる。新設の山の手小学校を見ながら、そんな事を思ったりしていた。
(斎藤仁)