旧砂山商店

 写真の石垣の上に見える古い昭和の建物が、旧砂山商店である。この砂山商店の次男坊が、潮陵高校の同級生ということもあり、何度もこの砂山商店兼自宅にお邪魔したことがある。今から40年以上前の事であるのだが・・・。

 その頃は、現在駐車場になっている石垣下は、漁網会社の倉庫や社屋が建っていたので、こうしっかりとは石垣が見えなかったはずだ。駐車場横の狭い坂道を上がると写真の真裏に出て、砂山商店正面に出るのである。

 その頃から既に古い建物であったのだが、部屋がいくつあるのかわからないほどの大きな建物だった。10部屋なのかそれ以上なのか、はたまた意外や意外、それ以下なのか・・・。

 大きな家屋なのに、お風呂が無いという酔狂な家でもあった。当時砂山君に聞くと、お祖父さんが、風呂はいらないとかで作らなかったとか・・・。これは、昨年久しぶりに件の砂山氏に会って確認したので間違いない!!!

 さて、砂山商店であるが、高校時代に訪れた時、自宅玄関から入ると会社事務所と引き戸一枚でつながっていた。たまに開いている時など、中をうかがう事ができた。そこには、大きな黒板に数字がたくさん羅列して書かれているのが見えた。本人にお前の家の商売なんなのよ??? と聞くと、俺もよく分からないという答え・・・。

 まあ、家業をわからないと言うものは、よっぽど複雑で説明しずらいか、よっぽど悪いことなのかの二つに一つだ。当然前者なわけだと思ったのだが・・・。

 時は流れそれから20年後、私が小樽青年会議所に入会すると、その砂山君のお父上が、昭和38年度(1963年)歴代理事長のところに記載されている。ということは、砂山商店は、小樽を代表する会社の一つだったのだと、その時にやっと理解する事ができたのだ。

 当時の黒板の数字は、今や各社で電光掲示板になった、各地の穀物類先物の値動きを表したものだったようだ。

 そういえば、高校3年の学校祭クラス出し物で8ミリ映画を作った際、数軒から広告をいただき、映画の前に流した。砂山商店にもお願いして、砂山商店の金看板を砂山君にもってもらい、広告映像を作ったものだった。

 その時の写真を見直すと、砂山商店と一緒に小樽雑穀澱粉商同業組合の看板があった事を、発見した次第だ。

(斎藤仁)