コンテッサⅢ世号

 平成29年(2017年)8月末をもって閉館した石原裕次郎記念館の玄関横には、全長12mのこのコンテッサⅢ世号が展示されている。

 石原慎太郎氏所有の先代コンテッサⅡ世号が、昭和37年(1962年)第1回チャイナシーレース(香港-マニラ)に出場し、このレース中に翌年のトランスパシフィックレース(ロス-ホノルル)に出場しようとの話がクルーから持ち上がり、その出場のためこのコンテッサⅢ世号が建造された。もう既に建造以来半世紀以上も経っているが、ご覧のようにそんな感じは一切しない。

 石原裕次郎記念館が開館したのが、昭和62年(1987年)に石原裕次郎氏が他界してから4年後の平成3年(1991年)7月。惜しまれて昨年平成29年(2017年)8月で閉館したのはご存じの通り。

 このコンテッサⅢ世号は、長らくハワイホノルルのアロワイのヨットハーバーに停泊管理されていたが、平成10年(1998年)にここ石原裕次郎記念館に移送展示された。

 昔、私が高校生の頃、ヨット部の同級生から、ヨットは風に向かって進んでいけると言ってノートに数学のベクトルの図を書き説明してくれたことがあった。さらに、ヨットの船底にはキールという錘があり、ひっくり返っても復元できる。外洋ヨットで太平洋の真ん中でひっくり返ったままで嵐を凌いだ例もあると教えてくれた事があった。

 写真を見るとコンテッサⅢ世号には、二つのキールを確認できる。このキールのおかげで高い位置に展示しなければならなかった事情があるのかと思う。もう少し低い位置だと記念撮影も容易なのにと、海の男に怒られそうな事を思ったりしている。

 マリンウエーブ小樽の職員からの聞きかじりであるが、海に停泊しておく時のランニングコストより、このような展示の方がはるかに安上がりだと教えてくれた。

 石原裕次郎記念館が閉館してしまった今、館内にあった自動車は小樽市総合博物館に移設展示されているようであるのだが、記念館の跡地同様、小樽観光を盛り上げてくれたパートの一つ、コンテッサⅢ世号がどうなるのか少し心配である。

(斎藤仁)