手宮線の踏切
手宮線の線路の上を寿司屋通りの方へずっと歩いて行くと、こんな場所がある。素人がぱっと見ただけで、すぐに長い歴史を感じさせる踏切が、今もなお残されているのだ。
しかし、踏切と言っても今日によく見られるような、上から降りてくるバーもなく、普通にしているとただの柵に見えかねないが、当時はこれが踏切だったのだろう。
カンカンカンと電車が通る時に鳴る、あの大きな音が出そうな装置は見られず、現在を生きている私から見ると、非常に危険な踏切にも見えた。
よく見てみると、幅は軽自動車の分ほどしかなく、対向車線に車が来たら周囲に避けられるようなスペースもなく、どちらも通れないと思われる。
手前側に小樽市・小樽警察署が設置した、「車両通り抜けできません」という真新しそうな看板を見て、もしかしてここは車が通っていなかったのかな?と思いきや踏切の向こう側には車用の看板が見えるため、やはりかつては車が通っていたようだ。
どうやって車が走っていたのだろう。あの住宅は当時はあったのかな。
このような小さな踏切を見て、かつて本当にここに線路があるように汽車が走っていたのだろう、と楽しい想像がいくつも膨らんだ。
更に近くには物凄く古びた公園もあり、線路沿いなのにどうして公園があるのだろう?と不思議に思った。他にも林檎のなる木が生えていたり、再建したらしい当時の色内駅を見ることが出来たり、手宮線沿いには歴史を感じさせるような匂いのする木や建物や景色がある。
一口に手宮線と言っても、中央だけでなく、端のほう、突き当たりの方までふらふらと歩けば、このように昔の小樽への想像が膨らませられる場所も見られるのだと感じた。
(nm)
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※本記事の内容は2016年2月時点の情報に基づいたものです。
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