恵比須岩
張碓の恵比須岩は、小樽八区八景の一つに数えられる、銭函・張碓地区のランドマークのひとつである。JRで札幌方面から帰ってくると、銭函駅を過ぎ海岸線をほどなく走っていると、車窓からこの恵比須岩が見えてくる。また、小樽から札幌方面に向かう時は、張碓トンネルを抜けると恵比須岩が見えてくるのだ。
札幌からの帰りは、小樽に帰ってきたんだとう安堵感。逆に札幌方面に向かう時は、そろそろ海が見えなくなり、札幌という都会に近づいて来た期待感みたいなものを感じていた読者の皆さんも多いのではないか。
近年の私は、札幌方面に行く時、ほとんど自家用車なのでこの恵比須岩を見ることが無くなってしまった。
この恵比須岩をはじめて観たのは、昭和40年の夏休み、当時住んでいた美唄から小樽水族館への日帰り旅行の時である。なにしろ海を見たこともなかった小学1年生が、海岸線を走る線路から見えた恵比須岩の荒々しい姿に多大なる衝撃を受けたのであった。
後に自然の浸食でこういう姿になったのだと理解するのだが、当時は太平洋戦争の爆撃でこの形になったと思っていた・・・。
それには伏線があり、その一か月くらい前、同じ美唄の団地に住む年長の小学生が、家族で小樽の親戚の家に行ってきた時のお土産だと言って、戦争で使った機関銃の薬莢(やっきょう)らしきものを自慢げに、年少者に見せて回っていたのだ。この弾丸ひとつで、団地ひとつ吹っ飛ぶんだぞ・・・、などと大げさにいうものだから・・・。そんな与太話を真に受けて信じてしまっていたのだ。
昭和52年(1977年)夏に、この恵比須岩で一度だけ泳いだことがある。張碓に高校の同級生が住んでいて、張碓海岸で泳ごうという事になったのだ。
張碓の街からまっすぐ海岸方向に進むと、海岸段丘の上に着く。そこから獣道のような細い山道を下りると恵比須岩に到着する。
今は遊泳禁止となっているようだが、当時は海水浴客がいた。恵比須岩の周りはえぐれていて3-5mの深さはあったように感じた。水中メガネで海中をのぞくと、岩と段丘の陰で光が当たらず、海藻もないなんとも不気味な世界が広がっていた・・・。
(斎藤仁)