色あせた港
小樽は寂しい町だと思う。もし誰かに小樽を色で表すのなら何色か、と問われたら、私は灰色と答える。
北海道の中でも有数の観光都市である小樽は、一年を通して、特に外国人の観光客が多く訪れる町である。札幌から小樽行きのJRの中では、外国語を聞かないことがないくらい、国籍を問わず常に大勢の外国人が乗車している。大学へ向かうためにJRを使うとき、観光客が特に多くいる時間と鉢合わせてしまい、車内が混雑し座席に座ることができなかったときは、こんな街に何を求めてこの人たちは来ているのかと悪態をつきたくなることもあった。
小樽に対して決して良い印象を持ち合わせていない私だったが、ある日、小樽という街について、ただ非難するだけではよくない、良いところを探すのも大事だと考えた。自分自身が小樽に愛着を持つためには、自分自身で探し出すしかないと思った私は、普段行かない小樽の町を観光者目線で歩いてみることにした。
小樽駅を出てすぐに見える大通りを、とりあえず歩いてみようと思ったが、ほどなくして足が止まってしまった。そこには海があった。左手には廃墟かと思うような荒廃した建物が見え、後は船が見えるだけだった。目前に広がる果てしない海に圧倒される。
しかし私がここで得た感動は、普通に海を見た時とは全く異なるものだった。曇りがかった空と、荒廃した建物、波音一つない静寂に包まれたその景色は、私の中で「灰色」、つまり寂しさの印象をより強くさせた。この場所で私は、寂しさが感動につながることを覚えたのだ。
人は新しいもの、鮮やかなものを求めがちだが、それを求めるからこそ、色褪せた変わらないものに、なんとも言えない感動を覚えることもあるように思う。正にノスタルジーという言葉がこれに当てはまる。
これから何年後、何十年後にここを訪れても、この景色は変わることはないだろうと思ったとき、変わらないことへの安心感から、「寂しい町のよさ」を知るきっかけになった。
(塚本)