旧松川嘉太郎邸の石垣

 緑第二大通り、直行寺入口に旧松川嘉太郎邸の石垣が残っている。ここは私の緑小校区だったので、松川邸もよく知っていた。

 この緑第二大通りには、以前「おたるくらし」でもご紹介させていただいた旧木村円吉邸、旧荒田邸の石垣もしっかりと残っている。

 はじめて松川嘉太郎翁の話しを聞いたのは、小学6年生の時、担任からだった。何の授業時間だったのかはまったく覚えていないのであるが、こんな話しをしたと記憶している。

 「緑第二大通りに大きな松川邸があるの知っているよね。中央バス社長だった松川嘉太郎さんの家だ。この人は東急の「後藤慶太」という企業乗っ取り家(なんとも物騒な呼び名だが・・・)から中央バスを守った人なんだよ。東急による中央バス乗っ取り、株の買い占めを阻止した人なんだ・・・」

 小学6年生にとっては、とにかく守ったというプラスのイメージは理解できたが、株の買い占めや企業乗っ取りというマイナスイメージの意味が今一つ理解できていなかった。要は小樽を守った人との紹介だった。

 しかし、東急といえば、札幌駅前に東急デパートがオープンするとか言っていた頃で、中央バスが東急になっていたら、今頃小樽にも東急デパートができているのにとノー天気に考えていたりもしていた。

 私がこの昭和33年(1958年)の「乗っ取り粉砕事件」の詳細を理解するまではこの後、少々時間を要することとなる。

 

 さて、近所に住む同級生は、松川翁が着物を着て近所を散歩している姿を度々目撃している、と言っていた事を思い出す。残念ながら私はこの小学6年生の昭和45年(1970年)にはすでに最上町に住んでいたので、松川翁にお目にかかった事はない。

 現在、住吉神社鳥居右手と、中央バスグループが管理する天狗山山頂ダイナミックコースの上に松川翁の銅像が建立されている。

(斎藤仁)