小樽シオン教会

小樽シオン教会は、商大通りの函館本線ガード手前にあるキリスト教会である。教会手前の商大通りと第三大通りの交差点に「小樽シオン教会」と書かれた縦型三角柱看板が、私が小学生だった頃よりよく見ていたので、教会の存在は50年以上も前から認識していた。現在、この看板を毎朝車窓から眺めているので、なんとも見慣れた風景であるのだ。

さて、この小樽シオン教会であるが、明治25年(1892年)に小樽での伝道を開始した。今年2017年で125年の歴史を誇るキリスト教会である。北海道にキリスト教会ができ始めたのが、明治維新以後、北海道の本格的開拓が始まってからだという。

その中でも函館とともに小樽は本州からの移住者の玄関口となっていたので、明治初期に開設されたキリスト教会も数多あるようだ。その中の一つがこの小樽シオン教会ということだ。これだけの歴史を有しているが、小樽で一番古い教会ではないようだ。

125年の歴史の中で5回の移転を繰り返し、現在地に落ち着いたのが戦後の事のようだ。その前は、公園通教会の筋向い、現在の庄坊番屋のところに花園教会という名前で伝道活動していたと「公園通教会百年記念誌」のお祝いのことばに小樽シオン教会北村一幸牧師が寄稿している。

私は、いまだ中にお邪魔したことはないのであるが、平成22年(2010年)の年末にここで行われた、小樽運河保存運動に貢献された峯山冨美(みねやまふみ)さんの葬儀の際は、外に用意されていたテントで手を合わさせていただいた。

個人的に峯山女史を存じ上げていたわけではなかったのであるが、全国から注目された小樽運河保存運動のシンボル的な存在で、「小樽運河を守る会」の結成から参加され、後の数年間、会長も務めていたということや、更に後、本人の意志と関係なく、小樽市長選挙候補者として名前が上がったりしていたのをよく知っていた。

昭和の後期と平成の始め頃は、時の人として、新聞紙上やその他マスコミ等でお顔も含めよく拝見していたのだ。そんなこともあり、小樽シオン教会で葬儀が行われると、報じられたので、市民運動の大先輩に対し、合掌だけでもと思った訳なのである。

(斎藤仁)