小田観蛍歌碑
小樽を代表する大正・昭和時代の歌人小田観蛍(おだかんけい)の歌碑は、旭展望台から遊歩道を歩く事1キロ、森の中を15分ほど歩くと到着する。
小樽公園内や水天宮、住吉神社境内にある歌碑、句碑から比べるとかなり辺ぴなところにある。この歌碑は昭和38年(1963年)9月、主催していた新懇社の同人たちが中心になり、観蛍の喜寿を祝って建立された。現在は歌碑横に東屋もあり、小休止できるようになっている。
実は、私の卒業した緑小学校、松ケ枝中学校の校歌作詞は小田観蛍であった。校歌を習う時に、作詞作曲がだれかなど気にも留めないことであるが、体育館ステージ横に掲げられていた校歌の作詞者が、小学校と中学校で同じだとは思っていた。
さらにその時は、小樽市内の小中学校の校歌はこの人たちが作ったのか・・・、と子ども心に勝手に思っていた。どだい「おだ」はともかく「かんけい」と読めるようになるには、それからかなりの年月を擁する事となる。
はじめてこの歌碑を訪れたのは、免許取り立ての頃だから、今から40年近く前の事と思う。当時の若者誰もが考えるように、いろいろな道路を走ってみたいという願望から、旭展望台→商大グラウンド→天狗山山頂へと走っている途中だった。
旭展望台から伍助沢五叉路に抜ける林道の商大グラウンド付近の袋小路の道が一本あり、「小田観蛍歌碑」の矢印案内板が設置されている。
この時はじめて母校の校歌作詞者が「おだかんけい」と読み、歌人としての経歴を確認した次第である。
彼は50年という長きにわたる教員生活の中で、小樽市内にとどまらず、全道各地の小中高校歌を作詞されている事もわかった。小樽市内では、閉校が決まっている忍路、末広の両中学校。桜、豊倉、天神、張碓の各小学校校歌も彼の作品である。
ちなみにここより早く昭和25年(1950年)には、教員生活を送った富良野市鳥沼公園にも、歌碑が建立されていることも付け加えておく。
母校の校歌も併せて記載させていただく。松中校歌は、ほとんど歌わなかった2番は省かせていただいた。
緑小学校校歌
1.見上げよ大空 かがやく日かげ
すくすく伸びゆく 若木の風に
明るい心で からだをきたえ
みちびくよい師に 知恵をばみがく
学校みどり 我らのみどり
2.まぢかにそびえる 天狗の山よ
ずんずん育つは 若木のいのち
正しい心を 根ざしにもって
みごとに花咲き おのおの実る
学校みどり 我らのみどり
松ケ枝中学校校歌
1.うしろにそばたつ 天狗の高嶺
春秋見あかず 冬は白雪
おお松ケ枝 その常盤
嵐にたえつつ けだかく強く
心根つちかい 磨かん知識
3.通うは坂道 日毎のつとめ
からだを鍛えて 徳を養い
おお学舎 その三とせ
導くよき師に 友とたずさえ
信義をあつくし 高めん栄誉
(斎藤仁)