ブン公

小樽駅を出ると、まっすぐとつづく大通り。
電車から降りてきたたくさんの観光客が、この道へと流れていくのをよく見る。観光地小樽の中でも代表的な観光スポットである、小樽運河を見に行くのであろう。

「小樽と言えば小樽運河とそれに沿ってつづくレトロな石造りの倉庫」というイメージを持っている人は多いだろう。
この倉庫は、運搬する物資を保管しておくために造られたものだが、石造りになっている理由は、火災から物資を守るためなのだそうだ。

実は小樽は、大きな火災が多い都市であったようだ。明治13年から44年の31年の間に19回も大火が発生していて、大火の数が函館と小樽で全国1、2を占めた時期も存在したそうだ。

その原因は複数あり、まず明治28年まで小樽に電気が引かれていなかったことだという。灯りはすべてロウソクやランプという火を使用していて、炊事も現在使われているような電気炊飯器ではなく竃を使用しており、日常生活で火種となるものが毎日使われていたのである。
それに加え、小樽の地形も関係して大火につながっていたようだ。小樽の人家は海と山に挟まれた場所に密集しているために、一度火事が起こると瞬く間に炎が燃え広まってしまったのだという。
そして道幅が狭く、坂が多いために、水の便が悪かったことも大火の要因の一つであった。

そんな火災の都市小樽では「消防犬ブン公」という一匹の犬が活躍し、「ブン公伝説」として銅像も建てられている。
ブン公は火事が起こると消防車に飛び乗って現場まで出動し、火事で集まってくる野次馬の整理、よじれたホースを咥えて直すなど大活躍したそうだ。
その活躍によって子供たちの人気者となり、ラジオや新聞で、全国に消防犬として知られるようになった。ブン公の出動回数は、ゆうに1000回を超えていたという。

また、火災報知機のベルの音が鳴ると消防士たちに吠えて火事を知らせ、一番にシボレーポンプ車のサイドステップに乗って、出動を待っていたという話や、気をつけの号令の際に「ワン」と一番に吠え、隊員が「2」と号令したというユニークな話も残っているそうだ。

ブン公の銅像は小樽運河のそばにある運河プラザの前にある。冬には耳当てや上着を着ているのを見て、今でも小樽市民に愛されているんだなあと感じた。

(R・T)