きりわり
「きりわり」という言葉を初めて聞いたのは、天狗山の麓にある松ケ枝中学校に入学した昭和46年(1971年)だった。
松中(まっちゅう)は、最上小校区全域と、緑小、入船小校区の一部が校区となっている。基本的にはその3校から、生徒が集まってくる。最大集団は何といっても全入の最上小で、クラスの半分弱を占めていた。わが母校緑小は第二勢力、入船小は最小集団だった。最小といってもクラス40名中、10名弱は在籍していたので、現在の小中学校の状況とは大分違うかもしれない。
さて、自分の住んでいる地域を表すのに、丁目や番地だけではなく、通りや、建物、商店、ランドマークなどで表すのは多いと思う。
入学クラスの自己紹介の中で、入船小出身で家は「きりわり」の下です。と言った同級生がいた。「きりわり」ってどこだ??? 聞いたことないぞ・・・。大体「きりわり」って何だ???
同じ感想を持った生徒もいたようで、先生に
「きりわりってどこですか」
「きりわりっていうのは、松ケ枝から奥沢水源地に抜ける道路にある、山を削って道路をつくった場所のことだ。厳密には地名ではないのだけれど、その地域の人たちはみんな地名のように言っているんだよ、そうだよな」
と「きりわり」の下と答えた同級生に同意を求め、みんなに教えてくれた。
その時私が思ったのは、なるほど読んで字の如く、切って割った道路か!!!
そうしたら山坂の街小樽は「きりわり」だらけじゃないか!!!
時は過ぎ、活動範囲も広がると、「きりわり」だらけの小樽で「きりわり」を地名のように使っているのがここだけだと、改めて先生の言ったことを確信している。
それはそれで面白いのだが、なぜ、松ヶ枝と奥沢の境目だけ「きりわり」と呼ぶのだろうかという疑問にもぶち当たる。ご存じの方がいたら教えてほしい・・・。
ちなみに、「きりわり」をもって松中と向陽中との境界線となっていたのだが、運動部のジョギングでも、この「きりわり」を折り返し点として使っていた。
(斎藤仁)