七曲りの坂
オタモイ海岸に下りる九十九折(つづらおり)の坂を「七曲りの坂」と呼ぶ。この名前、正式なのか通称なのかは定かではない。坂の上部にもそう記載された看板があるでもなく、ご覧のように「オタモイ園地」の看板があるだけだ。
小樽市の広聴課が責任編集し広報おたるに掲載された「おたる坂まち散歩」全52話の中にも、この坂は出てこない。ちなみにお隣「山中海岸への坂」は第43話で登場している。
私は昭和41年(1966年)の夏休み、小樽に遊びに来た親戚一同と、定期市内観光バスでこの坂を下りたのだが、バスの中ということもあり、ほとんど坂の記憶がない。その時はまだ健在だった弁天食堂が、図鑑で見たお城の様で、そっちの方が子どもにとって衝撃で、しっかりと脳裏に刻まれている。
さて時は少し過ぎ、昭和44年(1969年)小学5年生になった私は、転校生のK君宅で遊んでいると、不意にお父さんがオタモイ海岸への釣りに行くと言い出した。一緒に行くかい?と言われ、断る理由もなく、彼の両親を含め4人での急なお出かけとなった。
K君宅には軽自動車(当時の排気量360cc)があり、勇んでそれに乗り込んだ。順調に坂を下り、ほどなく海岸上部の駐車場に到着し、断崖の遊歩道を通りオタモイ地蔵の先まで行った。その日はあいにく、雨が降ったり止んだりというコンディションだった。
私も釣竿を借り、生まれて初めての釣りを楽しんだが、釣果も上がらず、ほどなく帰途に就くことになった。駐車場に戻ったその時、K君のお父さんから恐ろしい事を告げられたのだ。
この車は馬力がないので、4人も乗せてこの坂を上ることができない。悪いが、3人、歩いて上まで上がってくれというのである・・・。
断れるはずもなく、お母さんを含めた3人でこの九十九折の坂を上り始めた。登り始めてすぐ、ショートカットされた山道が付いている事に気づき、K君と二人その近道を上っていった。
最初は調子良く、坂を歩いているお母さんを優々と引き離していった。しかし、段々疲れてきて、頂上に着くころには、普通に上ってきたお母さんとほぼ同時の到着となったのだ。さらに、雨上りのせいで、山道はぬかるんだ箇所もあり、二人とも手も足もドロドロになりながらの踏破だった。
それ以後、何度もオタモイ海岸を訪れているが、この近道はこの時限り一度も通っていない。その後、法面補修工事などで現在この近道は無くなってしまっている。
ちなみにこの「七曲りの坂」どう数えても8回曲がっている事を付け加えておく。
(斎藤仁)