学校の石炭ストーブ
デレッキ、ジュウノ、ロストル。3、40代より若い人たちには理解不能な石炭ストーブ用語!!!
私たち50歳代以上にとっては懐かしい響き。
ストーブ内の焼けた石炭をかき回すデレッキ、石炭をストーブに入れるジュウノ、ストーブで燃えている石炭の下にある網状の鉄格子がロストルである。
今回は夕張市教育委員会からお譲りいただいた、市内中学校資料室に展示されている石炭ストーブの一枚を掲載させていただいた。
私は小樽に来た昭和41年より緑小学校→松ヶ枝中学校→潮陵高校と通学させていただいたが、緑小の1年間を除きすべて写真のような石炭ストーブで学ばせていただいた。時代は石油ストーブや集中暖房のスチームに代わっていた頃であったが、年回りが悪く、今のような暖房の恩恵は受けられなかった。
教室のストーブは通常前方にあり、緑小は丸型のダルマストーブ(写真同様)、松ヶ枝中は板金一筒式のルンペンストーブだった。回りには防火用に、水の入ったバケツがいくつか必ず置かれていた。
座席は通常も身長順だったので、前の子は暑すぎていつも顔を真っ赤にしていたが、身体の大きな私はいつも後ろ側、窓の隙間から入る雪と格闘しながらの学校生活だった。
「先生、寒いから石炭くべてよ」
「くべてあるから心配するな!!!燃えるまで時間かかるから。まあ、もう少しで暖まるから、我慢せ」
「後ろの生徒、今日は寒いからアノラック、ヤッケ着たままでいいぞ」
「寒がりはお母さんに言って、ちゃんと毛糸のももひき穿かせてもらえよ、恥ずかしくないからな」
「給食の牛乳来たから、蒸発皿に入れとけ」
「こら、ストーブの回りで騒ぐな、危ないべ」
先生の懐かしい言葉が甦る。
小学校のうちは、ももひきの上に毛糸のももひきを穿き、さらに毛糸の靴下も履いていた。今じゃ考えられない完全武装状態。
高校では、小中学校では考えられなかったことだが、石炭が昼までに燃やし尽くしてしまう。追加をお願いしても、頑として規則だからと受け入れてもらえず(何故だか今でも不明)、燃えそうな木製品をストーブに入れたことも一度や二度ではなかった。
最近とんと見かけなくなった、煙突を真っ赤にして轟々燃える石炭ストーブに、久しぶりに会いたくなったのは私だけではない…と思うのだが・・・。
(斎藤 仁)
写真:夕張中学校資料室展示物