小さな案内板

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何度も目にしていたはずなのに、その日はじめて気がついた。
築港駅の横にひっそりと建っている小さな案内板。
「小林多喜二 住居跡」
こんなところにいつからあったのだろうか。

小林多喜二と言えば、小学校の遠足か何かで旭展望台に行ったときに見た文学碑のあのおっかない顔のせいで、恐いというイメージしかなく、地主さんの話も蟹の話も知らないふりして避けて来た。

まるで誰かに呼び止められたような気がして、向き合い、覚悟を決めて案内板の文章を読んだ。

「明治末期、秋田から移住した小林多喜二の一家は、鉄道線路を背に、小さなパン屋を営んでいた。当時、家の裏手は築港の工事現場で、タコと呼ばれた土工夫が過酷な労働にあえぎ、非人間的なタコ部屋に・・・・・」(案内板より引用)

目の前には巨大な商業施設と観覧車が見える。

その昔、そこがなんだったのか、
知らなかったこと、知ろうともしなかったこと。

しばらくその案内板の前から動くことが出来なかった。

ここで彼は何を見つめ、何を伝えたかったのか。
いったいどんな人だったのか。

その年、雪融けを待って、何十年ぶりに旭展望台に上った。文学碑のあのおっかない顔は小林多喜二ではなくて「働く人のたくましい顔」だった。思い込みだったのである。働く人々の幸福を願っていた文学者だったと。

小さな案内板が過去と未来を結ぶ。

そこは明治の日本の繁栄を支えた鉄道であり、港である。
それは小樽の今に繋がり、明日へと続く。

名を残すこともない多くの人の力がそこにあったことを忘れてはいけない気がした。

(香)