緑ヶ丘スロープ
大正12年(1923年)2月、第1回全日本スキー選手権大会(種目は距離・純ジャンプ・テレマークスラローム・クリスチャニアスラロームの4つ)が緑ヶ丘スロープで開催された。
緑ヶ丘スロープ???
市民でさえほとんど知らない地名である。もちろん現在、この名前のスロープは存在しない。
今年10月、小樽スキー連盟100周年記念誌「雪跡(シュプール)」と題する冊子が送られてきた。それはA4版226ページにも及ぶ大作で、地方の単一体育団体の周年記念誌としては装丁、内容共、桁外れに素晴らしいものであった。
スキーのメッカ小樽出身のキラ星の如く輝いた名選手、歴代オリンピック選手の数々、記録、記憶、掲載記事等、100年の歴史を紐解いた編集委員の苦労が忍ばれる力作である。
その巻頭に前述の第1回大会の様子が記載されていた。緑ヶ丘という地名から、緑町、商大界隈とは想像できたが、その場所が商業高校の最上町側斜面というのを私は初めて知った。
この緑ヶ丘スロープ、大正年間には、いろは堂から「(小樽の冬)スキー練習場」というキャプションで何種類もの絵葉書にもなっているではないか。眼下に商業高校を見下ろす光景は、間違いなく写真の場所だ。
住宅が立ち並ぶ写真の中央付近に、当時から花形種目だったジャンプ台があった。ちなみに初代純飛躍優勝者は小樽高商の讃岐梅二選手、16.1mとある。
記念誌によると、この大会は写真だけではなく、映像まで残っているというから恐れ入る。さらに当時から北海道代表には、北大、小樽高商(商大)、樽中(潮陵)、庁商(樽商)の選手が数多くおり、大活躍している。
さらに、これらの学校のライバル意識が強く、北大vs高商、樽中vs庁商という図式であるが、判定、出走順に対する抗議等、面白い記述が多々あり、とても興味深く読ませていただいた。
特筆すべきは、讃岐選手が3年生で迎えたこの年、1学年下に小林多喜二、2学年下に伊藤整が在学していた。整の自伝的小説「若い詩人の肖像」、詩集「雪明りの路」の時代である。
(斎藤仁)