永倉新八碑

 新撰組の二番隊組長永倉新八が、小樽で晩年を迎えたのは既に有名な話である。小樽では杉村義衛と名乗り・・・。といっても勝手に名乗ったのではなく松前藩の藩医杉村家の婿養子となり、杉村姓に変わったというわけなのであるが・・・。

 剣豪集う新撰組の中でも、屈指の剣腕を誇ったという。色々な書物や記録の中ではやはり沖田総司が一番の剣豪だったと言われているのだが、隊士だった阿部十郎は後年「一に永倉、二に沖田、三が斎藤の順」と書き残している・・・。

 小説、映画、ドラマの題材に事欠かない新撰組であるのだが、この永倉新八自身が後年書き記した「新選組顛末記」により、明治維新以降の悪名高い新撰組からの再評価につながったと言われている。

 時代劇を扱う映画、テレビでは戦国時代の信長、秀吉と江戸時代の忠臣蔵、新撰組の人気が絶対的に高いと言う。永倉は近藤、土方、沖田に比べると地味ではあるのだが、主要人物の一人であるので、必ず配役されいろいろな俳優が演じている。

 私はスマップの香取慎吾が近藤勇役を演じた平成16年(2004年)NHK大河ドラマで、永倉役を演じたぐっさん(山口智充)が好きだった。それ以降も単発で永倉役を演じる俳優は出てくるのであるが、ぐっさんのイメージが強い!!!

 さて、この永倉新八の碑は小樽の名刹量德寺の山門前に建てられている。「旧新撰組副長助勤永倉新八菩提寺」と書かれているのが読み取れる。先般、岡崎芳明住職にこの碑は量德寺で建立したのですかと尋ねたら、全国から新撰組永倉新八の会が寄付を募り建立されたというのだ。

 量德寺会館入口すぐ右側に常設されている永倉新八ミニ資料館は、小樽の旗染物屋の旗イトウの先代故伊藤一朗氏による資料提供だそうだ。根強い新撰組、永倉新八ファンが毎年かなりの数訪れると前述岡崎芳明住職は言っていた。

 札幌に移り住んだ杉村家とは既に檀家ではなく縁は途絶えているのであるが、明治時代から杉村家の菩提寺であったことはお寺の過去帳にも記載されていて、間違いない事なので・・・と言っていた。

(斎藤仁)