塩谷小学校
塩谷小学校は、オタモイから塩谷に下りる長い坂の一番下付近の左側山側にある。明治9年(1876年)開設で平成28年度(2016年)140周年を迎えた。小樽市内では、明治7年(1874年)開設の忍路中央小学校に次いで、歴史が古い小学校である。ちなみに同じ明治9年(1876年)には、張碓、朝里の両小学校も開設されている。
明治初期、すでに閉校になっている小樽教育発祥の量徳小学校付近が小樽の中心地で、海岸沿いに人が住んでいたというのが、よくわかる小学校の配置状況である。ちなみに現在の中心地、花園、稲穂の両小学校が開設されるのは、それから20年以上後のことである。
昭和30年(1955年)、創立80周年に合わせて新築された先代の木造二階建塩谷小学校校舎は、国道からよく見え、その威風堂々とした姿は私もよく覚えている。
現在の鉄筋校舎は昭和61年(1986年)に完成しているが、国道と校舎の間に大きな施設が建設されたり、樹木が大きく育った関係で、国道からはあまり見えなくなってしまった。大変残念である。
塩谷小学校は、その創立80周年に合わせて、校歌、校旗、校章を一新している。新校歌の作詞がこの学校のOBである、塩谷出身で小樽を代表する文学者の伊藤整であるということは、あまり知られていない。当初は本人の希望で作詞者名を隠してほしいとのことで、公表されるのは後の事ということだ。
ちなみにこの頃は、まだ塩谷村立塩谷小学校であった。小樽市立になるのは、昭和33年(1958年)の小樽市との合併まで待たなければならない。
実は、私のダンススクールに退職後ダンスを習いに来た元小学校の先生がいて、その方が、新卒で赴任したのが塩谷小学校。この80周年にも若手教諭として関わり、伊藤整直筆の校歌原本を、どこかに取りに行くという大役を仰せつかったと言っていた。そのどこかが千歳空港だったか、小樽駅だったか、はたまた塩谷郵便局だったかは忘れてしまったのだが・・・。
その先生、すでに鬼籍に入られたが、教員生活の中で一番緊張した事だったと、述懐していたのを思い出す。
(斎藤仁)