小樽で感じる石川啄木

“ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく”
大半の人が聞き覚えがあるだろう。
私も中学校の授業で習った。
国語が苦手だった私だったが、なぜか短歌・俳句だけが得意であった。
そんな中、現在でも記憶に残っている、印象深い短歌がこの歌である。
これは“石川啄木”がふるさとである岩手を思い詠んだ歌である。

小樽には3つの“石川啄木”の歌碑が存在している。
さらに、市立小樽文学館でも資料が展示されている。
なぜこんなに小樽に石川啄木が!?と思う人も多いだろう。
私もその中の一人であった。

 

石川啄木は明治40年に小樽日報社に赴任した。
5か月の滞在であったが、函館にいた家族を呼び寄せ小樽で過ごした。
姉の夫である山本千三郎は北海道帝国鉄道管理局中央小樽駅の駅長。
このように石川啄木は小樽にゆかりを持っていた。
なるほど、確かに小樽に歌碑を建てられるのも納得できる。

写真の歌碑は平成17年に建てられたもの。
小樽駅を出て、三角市場へと続く階段を上りきったところにある。

石川啄木は次のような歌を残している。
“かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ”
一握の砂に収録されている。
小樽市相生町の水天宮境内にこの歌碑がある。
かなしきというと、マイナスの意味にとられ、この歌碑を建てることが躊躇われていたらしい。
しかし、この歌に込めた、石川啄木の思いは違ったのだ。
歌を詠むことをしない小樽の人々。
それでいても、不思議と活気に溢れている小樽。
小樽で今までに経験のないような人々の温かさに接した。
そのような感動を詠んでいた。
時代は違っても石川啄木が見て住んで感じた小樽は今も確かに小樽に残っている。
そんな今も変わらず続いている小樽らしさをあなたも感じてみませんか。

(七)