小樽水産高校
小樽水産高校は明治38年(1905年)創立で、北海道の水産系高校の中で最も歴史のある学校である。歴史の街小樽でも北照、潮陵に次いで3番目の歴史を誇っている。
北海道にはここ小樽水産、道南の北斗市にある函館水産、道東の厚岸水産(現厚岸翔洋)の3校の水産高校があり、北海道の基幹産業である漁業従事者育成に貢献している。
さらに意外と知られていないことだが、小樽水産には設置4科のうち2科に上級資格取得のための専攻科という2年間の短大のようなシステムがある。
もう10年以上前の事であるが、うちのダンススクールに当時水産高校の2年生が、お母さんが習っていた関係で、一緒に習いに来たことがあった。全道ダンス大会にも出場し活躍してくれたその彼は本科、専攻科と卒業後、海上保安庁に奉職して、飛行機のレーダー技師として、日々日本の海上を守ってくれている。
私たち世代の小樽水産高校は、名目男女共学であったのであるが、衛生設備不備(女子トイレがない)の理由で、女子の受験ができなかった。ちなみに現在は、その問題を解決し多くの女子高生が学んでいる。
私と水産高校との思い出を少々紹介させていただく。
昭和51年(1976年)秋に小樽市総合体育館で行われた、高体連小樽地区柔道新人戦の団体戦一回戦で、わが潮陵高校が水産高校と対戦した。先鋒で出場した2年生の私は、白帯1年生に見事に一本負けをしてしまったのだ・・・。
団体戦であったので、どうにか潮陵が逃げ切りその後勝ち進み、最終的には準優勝させていただいた。だが一回戦で白帯1年坊主に負けた私は、まったく釈然としない気持ちでいたのだった。
そんな時、水産高校の監督がわたしのところに来て、こう言ったのだ。
「斎藤君、あいつはスポーツの天才だ。積丹の漁師の息子なんだが、陸上の全道中学砲丸投で準優勝している。そしてあの身体(90キロ以上)で100mを12秒台で走るんだ。さらに余別中学野球部のエースで4番。柔道はじめて半年だが、うちでも誰もかなわないんだな・・・」
なんともおそろしい怪物と対戦したものだ・・・。確かに組んだ感じも柔らかく、いつ負けたかわからない感じだったような・・・。それが現在、水産高校柔道部監督の、柴田秋実先生(柴田接骨院経営)との出会いである。
その対戦以降、水産高校柔道部とは仲良くさせていただき、翌年に現北海道柔道連盟会長山本典夫先生が潮陵に赴任してきたことも重なり、水産高校が出稽古に来るようになった。
そのかいあり、昭和52年(1977年)の高体連小樽地区代表として両校ともに全道大会に出場することができた。めでたし、めでたし!!!
ちなみに柴田先生は道内各種大会の優勝、入賞をはじめ、20年という長きにわたり、東北・北海道対抗柔道大会に北海道代表の一員として活躍している。小樽はもとより、北海道を代表する柔道選手であった。
今でもたまに会うと、じん先輩、また柔道やりませんか!!!と誘ってくる・・・。
(斎藤仁)