五楽園の石垣

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 石垣の街小樽でも代表的な石垣が、写真のライオンズマンション富岡が建つ石垣である。ご覧のように立派なものであるが、ここには明治時代にニシン漁で財を成した金澤友次郎邸(明治37年/1904年築)が建っていた。

 私も昭和41年(1966年)4月から1年間、ここから200mほど上の商大通り沿いに住んでいたので、この旧邸の記憶が微かにある。ここの上隣、日蓮宗妙龍寺境内でよく遊んでいたので、一段上から蔵があったり大きな庭があったりのお屋敷を見たことがあったのだ。

 その当時で築60年を優に過ぎていたのであるが、あまり人の気配は感じられない感じだった。そしてこのお屋敷の事を父親に聞いたことがあった。

 「妙龍寺の下の大きな家は誰の家???」
 「あっ、あれか?あの家は五楽園というところだ。お父さんたちは囲碁やマージャンをやりに入ったことがあるけど、くわしくはわからないなあ・・・。」
 と教えてくれたのである。言葉の響きとその内容から、てっきり娯楽園だと思っていた・・・。

 昭和50年代中過ぎあたりから、道新市内版などに市内の建物、名所、旧跡などの紹介が、小樽支社記者執筆で、連載されるようになった。後にそれらをまとめて出版されたりしていたが、そんな連載の中にこの金澤友次郎邸(五楽園)も出ていた。それで娯楽園ではなく、五楽園だとわかったわけである。

 今から約30年前にこの大邸宅が解体されて、このライオンズマンション富岡が建つわけであるのだが、それに伴いこの歴史的な建物を後世に伝えたいという思いから、静屋通りの藪半そば店社長の小川原格さんが、母屋部材をそば店に移築し、さらに銭函にある職訓大学校教授の駒木定正さんの最上町自宅に、和洋折衷洋館を移築したのは有名な話しである。ともに私財を投げ打っての、大英断であったことを付け加えておく。

 ちなみに現在小樽に4棟のライオンズマンションが建っているが、そのうち3棟が旧大邸宅の石垣上に建っている。嵐山通りにある「小樽花園」が丸石垣で有名な小豆将軍といわれた高橋直治邸跡、見晴らし坂の上に建つ「小樽東雲町」が小樽市内電話1番で有名な名取邸跡、そしてこの金澤邸跡である。
 建物は無くなってしまったのだが、その当時の石垣をそのまま利用しているのは、それだけ頑丈で立派であったということの証しなのかもしれない。

(斎藤仁)