手宮線緑地
手宮線緑地は、明治13年(1880年)、北海道最初、日本で三番目の鉄道開業区間である旧国鉄手宮線を利用した遊歩道、多目的スペースである。この散歩道、今流行の弾力性のある木材チップをちりばめた舗装で、脚に優しくできている。
さて、旧手宮線に関し少々解説する。ここはご存じのように三笠幌内炭鉱の石炭を、手宮高架桟橋から、海上輸送するためにできた鉄道である。輸送増加のため、明治43年(1910年)から複線化されたのだが、戦時中の昭和18年(1943年)、ご多分に漏れず鉄類拠出のため単線に戻された。
しかし、戦後は小樽築港のトランスポーターに石炭輸送の主力は移り、単線のまま貨物線を中心に使われていた。鉄道ファンに惜しまれながら、廃線となったのが昭和60年(1985年)である。この元複線だったということが、手宮線緑地を造成する上で、スペース確保等、大変役に立ったのだ。
ここの鉄道遺産としての価値は言うに及ばないが、遊歩道が鉄路の片側にあり、寿司屋通り鉄橋跡から、旧日本郵船小樽支店裏側まで整備され、途中写真のあたり小樽市分庁舎(美術館・文学館)裏庭に多目的広場が造られた。
この手宮線緑地は、愛犬シーちゃんの朝の散歩コースの一つとなっている。散歩をしていると、多くの愛犬家や、早起きして小樽散策を楽しんでいる市民や観光客と遭遇する。
すれ違う時は、誰彼となく朝の挨拶を交わし、時としてお話しをさせてもらう事もしばしばだ。
「おはようございます、どちらからおこしですか?」
「○○からです。小樽はいいですねぇ、こんなすてきな遊歩道や古い街並みがあり・・・」
他愛のない会話をし、時に持っているデジカメで写真を撮ってあげたりしている。
ここは多目的スペースとして、7月おたる潮まつり併催の小樽ガラス市や、2月開催小樽雪あかりの路のメイン会場の一つとして、また鉄道写真展なども開催している。
また、鉄路がそのまま使えるので、ボランティア市民が中心になり、自転車を改造したトロッコを作成し走らせている。昨年11月には道内各地5団体のトロッコが集結し、観光客や市民を大いに喜ばせていた。これからは、沿線に若い経営者のお店が並ぶともっと楽しくなると思っている。
(斎藤仁)