粋な爺さん
先日、久しぶりに蕎麦屋の老舗「籔半」に行ってきた。
ちょうど昼飯時で混んでいたので、僕のお気に入りの奥座敷に座れず、テーブル席に座った。
席に座って、なにげに隣のテーブルを見た。
隣のテーブルには、白髪の口髭を蓄え、ハンチング帽をかぶったいかにも「粋」な爺さんと、その奥さんと思われるお婆さんと、ご夫婦の娘さんと思われるおばさんの3人が座っていた。
まだ注文した蕎麦がきていないようで、口髭を蓄えた粋な爺さんが、突出しの「そば味噌」と、酒の肴として注文したであろう「鰊の切り込み」をつまみつつ、熱燗の1合徳利を傾けていた。
「いやー、いいなあ」
陽の高いうちに、籔半でちょっとした肴やヌキなどで日本酒をグビリとやるのは僕の憧れである。
だけど、どうしても車で行ってしまうので、そういう至福のひと時を過ごしたことは数えるほどしかない。
爺さんを羨ましがりつつも、僕は「カレー蕎麦の大盛り」を頼んだ。
「老舗の蕎麦屋でカレー蕎麦かい?」と言うなかれ。
籔半のカレー蕎麦は、ご主人の自慢の一品でもあるのだ。
そんで、カレー蕎麦を待っている間も、僕は隣の粋な爺さんが気になって仕方なかった。
実に旨そうに日本酒を舐めるんだも。
そのうち徳利が空いた爺さん、店員さんを呼び、低めの渋い声で、
「熱燗」
と言った。
2本目である。
いやー渋いなあ、憧れるなあ。
間もなくして、お婆さんと娘さんに注文の蕎麦が来た。
でも、爺さんにはまだ来ないようだった。
爺さんは、ふたりが蕎麦をすすっているのを眺めつつ、手酌でお猪口に酒を注ぎ、それをゆっくりと口に運んでいた。
そのうち、僕のところへカレー蕎麦がきた。
「あれ、爺さん、まだ蕎麦を注文してなかったのか」
と思いつつも、僕はハフハフしながら食べ始めた。
そして、僕が蕎麦を喰うのに夢中になっていた時、また爺さんの渋い声が聞こえた。
「熱燗」
なんと、3本目である。
そして、その間に爺さんが口にした物といえば、相変わらず突き出しのそば味噌と鰊の切り込みだけである。
僕は
「爺さん、いつ蕎麦を喰うんだ」
と、ちょっと気になってきた。
そのうち、僕はカレー蕎麦を食べ終わり、隣のお婆さんと娘さんも食べ終わった。
爺さんも3本目の徳利を空けた。
そして、また店員さんを呼んだ。
「ちょっと」
お、今度はなんだ?
いよいよ蕎麦か?
爺さんは言った。
「蕎麦湯」
な、な、な、なんと、爺さん、蕎麦を食わずして締めに入ってしまった。
あの籔半で蕎麦を食べない!!!
いやー粋だなあ。
カッコいいなあ。
真似してみたいなあ。
と思ったけど、んー、やっぱり蕎麦も食べたいなあ。
だって、せっかくの籔半だも。
きっと、僕は「粋な爺さん」にはなれないんだろうな。
(みょうてん)